藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

息苦しかった時代。

*[次の世代に]不自由でも自由。
十代の頃。
なぜあんなに息苦しかったのか。
先輩たちも「閉塞感」とよく言っていた。
確かに共感したけれど、一体何だったのだろう。
尾崎豊も歌っていた。
「大人vs子供」という世代間の対立だったのか。
それは今はあまりないのだろうか。
 年をとるとそんなことを考える。
それはともかく。
 
要するに「自由」だと考える。
日雇いバイトでも、
サラリーマンでも、
自営業者でも、
大企業の社長でも、
専業主婦でも、
ヤクザの組員でも。
それなりに自由だ。
 
つまり「不自由」は親の庇護の下にいたことだろうか。
でも学生は学生なりの自由もあったはずだが、自分もそこには気付かず「ただただ不自由」だったと感じていた。
自分が社会的に自立した途端に、自由は始まる。 

 

それからが案外大変なのだけれど「自由」はともかく自由で、楽しいものだ。
そういう見方で社会人を楽しむべきではないだろうか。