藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

健康至上なので

昭和の前半の映画を見ると、皆面白いほどタバコを喫う。
欧米の映画も同じ。
時代考証として費用な表現アイテムなのだ。
会社の会議室でみんなが常時ふかしている部屋のヤニ汚れは相当なものだったと思うが、当時はそれを問題にする人は少なかった。
自分も愛煙家だったが、やめてしまうとあの紫煙の匂いはどうにも気にかかる。
男性は喫煙率が3割を切ったそうだが、「喫煙スペース」が限りなく縮小している今彼らの苦労は相当なものだろう。

限られた喫煙スペースや、路上で手のひらに隠すように喫煙する彼らを見るたびに「健康被害ゼロ」のタバコができないものかと思う。

そのうちお酒やコーヒー辺りも規制の対象にならないとも限らない。
今は主役の糖分だって規制される世の中が来るような気もする。
「より健康に」というスローガンのもとで「あらゆる不健康習慣」は文化として排除されていく。
ちょっとした息抜きがしにくい時代になっていくようだ。

春秋
日本経済新聞 
昨年のミステリー小説ベスト1を総なめにしたのが英国のホロヴィッツ作「カササギ殺人事件」だ。たくみな構成にページをめくる手が止まらない。「いっしょに一服しましょうか」。探偵役の女性編集者は愛煙家。キーマンが同好の士とわかると、こう近づいていく。
▼「昔ながらの小道具のおかげで……壁がとりはらわれ、仲間意識が芽生える」と効用を説いた。お話の中ならば、煙も匂いも流れては来ないが、現実はそうもいかない。昨年後半からたばこにいっそう厳しいニュースが相次ぐ。一部のコンビニは東京都内で店頭の灰皿を撤去するらしい。1年半後の五輪をにらんだ動きだ。
▼関西の大学が今春から入学者に学内では吸わない誓約書を提出させる動きも報じられた。日本たばこ産業は54年間続けた喫煙率調査を昨年分で中止するという。ちなみに変化の大きい男性では1965年で82.3%、昨年は27.8%に減った。先日発表のあった芥川賞直木賞の選考の会場も今回から禁煙になったという。
▼服や壁に染み込んだ物質による被害は3次喫煙とも指摘される。●(歌記号)煙草(たばこ)の匂いのシャツに、なんて松田聖子の歌にときめいたころもあったっけ。「一服」からの連想でいえば、いにしえの茶人は雲のかかる月やひび割れた茶わんを好み、不完全さにわびの美を見た。紫煙が社会から退潮して、得るもの失うものは何だろう。