藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

マルチ化

*[次の世代に]残り時間を想う。
せこく、時間の使い方をさらに考えてみる。
まずぼーっとしている時間を考える。
というか「はっきりとは思考していない」時間を。
例えば通勤時間とか、歩いている移動時間だ。
もしそこに「別の何かのタスク」を当てることができれば、その時間は2倍に生きることになる。
「風呂とかトイレとか食事の時間」はすでに潰してある。
と言っても本とかを読んでいるだけですけど。
寝ている時間もあるだろう。
最近自分は、歩いている時間(1.5h/日)に口述筆記ができることを発見し、ずいぶん時間の使い方が変わった。
 ブログの原稿はすべて歩きながら書いている。
こういった感じで「隙間の時間」をさらに探しつつ、マルチでやれることを探そうと思う。
で、こういう発想そのものが「残り時間がなくなってきている、老年の発想」に違いない。
若い人も何十年後かには"そんな気分"になるのだと知ってもらいたい。