藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

コロナの向こうで

*[ウェブ進化論]脱・お金思考。

今年ももうあと2ヶ月足らずになりました。

2021年初めの時点で日本のコロナ対策費は73兆円だという。

その後の補正予算が5兆円ともいうから80兆円くらいは使うのだろう。

(ちなみに世界規模では対策費は1445兆円で、ちょうど中国のGDP分くらいらしい)

これほどのお金が供給され、そして消費は停められているので、否応なくお金が向かった先が高級車とか新築・中古のマンションなのだという。

「消費そのもの」が人の欲望の一つのようだが、何かとても歪に感じるのは自分だけだろうか。

それはともかく。

 

世界的にこの傾向だから、これからはどうしても「お金の価値」はどんどん落ちていくと自分は思っている。
いたずらに供給を増やせばそのものの価値が下がる。


この壮大にバラ撒いたお金を、いったい誰が返していくのか。

過去の震災時のように、「別途税金枠を作る形で返済を考えていく」のか、それともMMT理論のように、ずっと借入金を繰り延べしていても、国家の関係は破綻しないのかなどという、「どえらい実験」が行われている最中だ。

(ぜひ「未来から見つめるつもり」で今を考えましょう)

お金の価値が「ドンと下がる」時代が来る。

 

だったら自分はなにを大切にしていくのか。

これから大事なのは、お金や不動産などの、「"これまでの常識"的な商品」ではないのじゃなかろうか。

コロナ禍は、実はそんな深い問いかけを自分たちにしているような気がする。

 

「お金ありき」から抜け出そう。