藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

窮地主義

*[次の世代に]自分ゲーム。
獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすというが、死んだらどうすんね。
で他人や自分の子供ならともかく、自分自身を千尋の谷に突き落とすのはどうだろうか。
いやですが。

何につけ、自らを「窮地」に追い込んで自らにトレーニングを課す、と言う考え方はあっていい。
筋トレをしないと筋肉が緩んで痩せていく。

それでいいじゃない、という選択肢もあるが、どうも自分たちは「そうして老いる」ことに抵抗感があるらしい。

50、60、70代になって急に体を鍛えたりする人が多いのはそんな理由だ。

それはともかく。

 

自分にどうやってテンションをかけ続けるか。

心の筋トレだ。

そしてその負荷は「他人から与えられるものではなく、自分が自らに与えるもの」なので、前向きにチャレンジできるのではないだろうか。
心がストレスで潰れてしまうと何もできなくなるが、ちゃんとわかった上での筋トレならかなりのところまで追い込めるだろう。

そんなことを思って「自分のチャレンジ対象」を考えてみると、周囲の景色が違って見えてくる。

「大変そうなこと」は挑戦の対象になる。

そんな"ゲームやトレーニング"に見立てて自分の環境を考えてみるのは、老若男女誰にとっても面白いアプローチではないだろうか。

 

次のストーリーを考えてみよう。