藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

歴史の誤謬

*[ウェブ進化論]改竄のない時代に

先日芝居を見物していて「歴史は勝者が紡ぐもの」という言葉を耳にした。

確かにそうだ。

ローマ戦史でもガリア戦記でも、基本は「勝者が伴の作家に聞き取らせた物語」だというのは本当だろう。

都合の悪いことを書く著述家はおそらく迫害されただろうから。

要は「自分にとって都合の良いことばかりを書く人たち」を集めてできたのが、今の多くの歴史記録ということになる。

だとするとヨーロッパや中国のの歴史とか、日本の紀元前からの話なども「相当割り引いて」いや「実は裏側を読みながら」解釈しないと、解釈を間違いそうだ。

江戸時代以降の明治・大正・昭和の記録でさえ、未だに確定的ではないようだ。

戦争を始めたのは誰か。

戦争を進めたのは誰か。

戦争を終わらせたのは誰か。

戦後を作ったのは誰か。

こんな新しい時代の記録でさえ「勝者が編纂し」、どこまで真実が語られているのかは史実家の仕事になっている。

常人にはそんな見極めはなかなか難しい。

でそれはともかく。

 

これからのデジタル時代には、そんな「正確な記録」こそが財産になっていくのだと思う。

誰がなんと言おうと「厳然たる事実として残る記録」こそが正しく今後を遺していく方法なのではないだろうか。

そしてようやく、そういうことが可能な時代になってきているようだ。

 

"ここからの記録は、全て事実です"という時代がようやく到来しているのではないだろうか。