藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

偽看板

*[ウェブ進化論]冠は疑え。

昔から「いろんな職業の本質」について、特に若者には正直に話そう、と何度も書いてきた。

先日、長らく生命保険業界に勤める友人が定年を前にして「自分たちの仕事は腹いっぱいになっている客に弁当を買わせるようなもの」と言っていた。

業界の中にいる人ならではの表現だと思う。

また出版社に勤める友人が「売れて広告取ってナンボですよ」とも。

テレビ局の知り合いは「すべては視聴率。数字とスポンサーしか見ていないよ」と。

 

どんな業界にも「表の顔と裏の顔」があるが、普段は自分たちはプライドもあって「表の顔」で過ごしている。

どんな仕事も誇りを持って、堂々とやりがいを感じながら働くのはもちろんいいことだ。

けれど自分の仕事が、世の中の「どんな部分」を分業していて、「どんな効果」をもたらすものなのか、というのは客観的に見ていく必要があるだろう。

"看板に偽りあり"というのは、むしろ華やかな業界に付きものである。

若いとどうしてもその「華やかさ」に惹かれる。

自分ももちろんそうだった。

マスコミや商社や政治家や資格業などの、むしろ「悲哀の部分」にこそ、その職業の本質があるだろう。

 

ある程度のことが分からずに業界に入り、入って時間がたってから「何の目的で働いているのだろう」というのでは本末転倒である。

哀しい物語こそ積極的に語ろう。