藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

宗教感覚とは。

インターネット持仏堂、というのがあったのは知っているが、まもなく「納骨堂」も出てくる運命だったのだろう。
それにしても「遺骨を郵送できる」というコンセプトに裁判所が「国民の宗教感覚に一致しない」と不許可処分を出していたという話。
裁判所もご苦労だが、それにしても「国民の宗教感覚」とはどのようなものか、一度大手のビジネス誌も特集してみては堂だろうか。

まずリストラとか介護とか貧困とかいう話題が取り上げられているが、流行の孤独死の後には「葬儀」とか「納骨」が待っている。
ついに核家族の時代が終焉を迎え、最後の行き場であるお墓の存在が問われているのではないだろうか。

これまでの世帯数を維持し、「世帯の数だけお墓がある」という状態の維持は困難な時代になっている。
インターネット納骨堂は、そうした時代背景から出てきた必然なのだと思うのである。

もう高齢化する親族、血縁者たちの遺骨を管理しきれない・・・

そうした声はもうかなり一般化しているのだろう。
というかこれからはもっと強くなってくるに違いないと思う。
「送骨バック」で遺骨を送り、「年間5.5万円」で墓守をして貰う。
そしていずれは「墓の統合」がなされて、合理的な「新しい先祖のお参り流儀」が出来てくるのに違いない。

こうした話題も、人口縮小、経済縮小の最先端を行く日本らしい話題ではないかと思う。
いろんなところで新しいことを考え、試行してゆきたいと思う。

遺骨を郵送「送骨パック」に裁判所は…

インターネットで納骨者を募り、遺骨を郵送できるなどと簡便さをうたった「納骨堂」の経営について、愛媛県伊予市が許可しなかったのは不当として、同市内の寺院が不許可処分取り消しを求めた訴訟の判決が25日、松山地裁であった。


森実将人裁判長は「商業主義的な印象を与え、国民の宗教感情に反するとした市の判断は不合理とは言えない」として、原告の請求を棄却した。

判決では、寺側は、敷地内に骨つぼの収蔵や埋葬ができるコンクリート製の納骨堂を設け、インターネットの広告で「全国から送れる『永久供養堂』」「送骨パック利用 納骨供養5・5万円」と利用者を募集。2011年4月、同市に納骨堂経営の許可を申請した。

市は同年12月、全国から利用者を募集し、郵送で遺骨を受け取るという仕組みなどが「国民の宗教感覚に合致しない」などと不許可処分を出していた。

森実裁判長は判決で、簡便さや低価格を強調した運営について「広く一般的に利用されている形態とはいえず、商業主義的な印象を与えることは否定できない」と指摘。許可がないまま利用者の募集を開始した点も「運営管理の健全性に疑念を生じさせる」とした。

寺院の住職(52)は取材に「社会的弱者を救済しようという思いだったので、まさかという気持ち。時代遅れな判決だ」と話した。

同市市民生活課の担当者は「地域住民の感情に配慮したいと主張してきたことをおおむね認めてもらった」と話した。

(2013年9月27日13時36分 読売新聞)