藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

テクノロジーと決断。

俗にお役所仕事などという。

おやくしょ‐しごと【▽御役所仕事】
とかく形式的で不親切・非能率になりがちな役所の仕事を非難していう語。
出典|小学館デジタル大辞泉|

自分が子供の頃のこと。
区役所にて。
お昼12:00過ぎ。
「今日の受付は午前中で終わりなので、明日また来てください」
『あなたは今ここにいるじゃない!!』と驚くおばさんに「一応、規則なんで」との返事。
(とまあ言っても日本などはまだいい方らしく、欧米でも役所の手続きが不備だったり、銀行が手続きを忘れたりするのは当たり前らしいけど)

それはともかく。

いま必要なのは、組織が肥大化するにつれて増殖する「本当は価値を生んでいない仕事」の撲滅である。そもそもそのプロセスは存在すべきなのか? 詳細な報告が本当に必要なのか? 見た目の良い資料を作ることで仕事をした気になっていないか?

組織に付く贅肉。
社会にルールとか規制とか許認可制度が増えていく。

すると、どんどん「そのための組織とか人」が準備されて、それらは(基本的には)減ることはない。
「一旦実施していたルールを止めるのは、止める決断をした人にリスクがあるから」だ。

登記簿謄本とか戸籍とか、
本人確認とか電話番号とか生年月日とか。
ルールや確認作業は増える一方だ。

誰かが気づき、編み出した規制や手続きは、一時の役に立ったかもしれないが、それが恒久的に必要なものかは後々に勇気を出してレビューしなきゃならないと思う。
デジタル処理が普及当初だった頃のルールは、今の「顔パス認証の時代」にはほとんど入らなくなっているようにも思う。
金融関係の認証や書類手続きは、間も無く全滅するのではないだろうか。

その仕事、本当に必要ですか?
働き方改革」が加速している。企業経営の構成要素を、大括りに「事業」「財務」「人事」とすれば、強烈な成功体験ゆえに変革が難航していた日本型経営システムの本丸である「人事」にメスが入ったともいえよう。

「財務」については、1990年代後半から始まる金融・財務面の改革、さらには昨今のガバナンス改革が変化を促している。また、国内市場の成熟に伴う海外展開は「事業」のありように大きく影響を与えてきた。これらの変化を受けながら、いまだ残っていたのが「人事」の問題である。

本社改革などを進めても必ず最後に残る「聖域」の変化を促すという意味では、「働き方改革」は前向きに捉えるべきであろうし、企業の取り組むスピードも速い。残業時間の削減や在宅勤務の充実など、できることは積極的に取り入れれば良い。ただ、もっと重要な課題がある。そもそも「その仕事は本当に必要」なのだろうか。

働き方を変えて効率を上げようとすると、「これまで50分かかっていたプロセスを5分短縮させよう」といった「工数改善」に陥りがちである。それ自体が悪いわけではないし、現場での取り組みや努力は称賛に値する。しかし、残念ながら全社的に目指す改革にはつながらない。お役所仕事と呼ばれるものにかける時間をいくばくか減らしてみたところで、それがお役所仕事であることに変わりはないからだ。

いま必要なのは、組織が肥大化するにつれて増殖する「本当は価値を生んでいない仕事」の撲滅である。そもそもそのプロセスは存在すべきなのか? 詳細な報告が本当に必要なのか? 見た目の良い資料を作ることで仕事をした気になっていないか?

働き方だけではなく、働く内容自体を見直す好機である。
首都大学東京大学院教授 松田千恵子)