藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

動機付けの罠

*[次の世代に]大義名分は大義名分でないことがある。
人は大体、自己否定を好まない傾向がある。
特に大人だ。
まあ「現在の自分」や「これまでの自分」を直ちに否定したくないのは無理もない。
けれど自己弁護することで他人を欺いてはならない。
特に年寄りが若い人を騙しているケースがほとんどでは無いだろうか。
年寄りはまずその分厚い面の皮を恥ずかしいと思うべきだろう。
 
 例えば医師の倫理ははその発祥を「ヒポクラテスの誓い」に求めると言う。
しかし現実には医療保険と言う制度のもとに働かざるを得ない存在でもある。
病を治し、健康を取り戻すことだけが仕事の全てでは決してない。

 どんな職業にも裏表はあるものだが、裏の部分はなかなかその世界にいない人の目には触れなかったりするものだ。

 
穿って人の仕事のアラばかり探そうということでは決してないけれど、現実に大人たちはそんな職業の持つ悲哀を若い人に伝えていないとつくづく思う。
長所と同時に欠点や嫌なことをきちんと話せる、と言うのは最も社会人に求められる資質なのに。
 
若者の前でカッコをつけるのは止めにしよう。