藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

伝達技術

*[ウェブ進化論]会話と記録。

ここ一年ほど、散歩の合間に「プログの原稿を音声で書く」ことにしている。

思いのほか、歩いている間に「ごちゃごちゃと考えること」というのはあるもので、それを思いのままに記録していくのは面白い。

それはともかく。

 

その「文字起こしされたテキスト」のなんと無駄が多いことか。

「えーーー」

「例えば」

「仮にだが」

「もしものことだが」

「〇〇に違いない、と思う」

つまり言葉の末尾に「である」と言えるのか「だろう」なのか「に違いない」なのか「強くそう思う」なのか。

あるいは「だろうか」。

自分の意思の強さとか、根拠への自信などがモロに言葉に反映されるのだ。

 

根拠のない文章は読み手に支持されない。

根拠の薄い話し方は、聞き手の関心を惹かない。

そうしたことが「テキスト起こし」をしてみるとよく分かる。

つまり反対に「会話」は実に不安定で、相手への伝わりかたも実にナイーブな代物なのだと思う。

 会話で相手を説得したり、翻意させたりというのは実はかなりの高等技術なのだ。

なのでまずは自分の言葉を「テキスト化」してみて、言いたいことを補正してから「会話」へと進むのが良いのではないかと思う。

 

いきなりベラベラと話しかけても、相手には何も届かない。