藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

分水嶺

*[次の世代に]ドタバタしようや。

何か新しいことをやり始めて「こんなはずじゃ」と思ったことはないだろうか。

何か勢いで始めてしまったけれど(でもこれはとても大事)、「もし最初に分かっていたらやっていない」ようなことだ。

それがなにって。

ようやく歳を重ねて分かってきたのですよ。

"そういうこと"が。

自分は特に"面白そう!"と思ったら飛びこむタイプで、水浸しになってから"アレッ!?"ということが多い。

たぶん聡明で、事前に頭が切れる人なら考えて躊躇してしまうようなことだ。

昨年くらいまでは、まったくそんなだった。

それが少し変わった。

「事前に見当がつく」感じになってきたのだ。

このサービスを始めたら営業に苦労するだろうな…とか。

この商品を仕入れたら、相当使い方を勉強しないとダメだな…とか。

こんな趣味を始めたらお金と時間がすごくかかるだろうなぁ、とか。 

 

歳を取ると「そういうこと」が分かるので、だんだんみな億劫になってくるのだ。

体力が衰えるからばかりではないと思う。

「事前に見えてしまう」から、あえてそれを乗り越えて行こうと思わない。

いい意味で「打算」がはたらく。

それはそれで賢いことだ。

で、「老人」になるかどうかの分かれ目は、そこで「まあそれでもやるか」と思えるかどうかだろう。

「挑戦してみてドタバタすること」に興味を持てるか。

それとも泰然として見送るか。

 アクティブな高齢者は、だから老人ではないのだ。