人類学者マルセル・モースは未開社会の経済原理は「贈与と返礼」にあると説いた。つまり「略奪」は良いことではなく、対立せずに「贈与」を受けた側は「それに見合う例を尽くす」ということだったという。
つまり「贈り物」をして「感謝を返す」という非常に倫理的な規範があったということらしい。
人類学者マルセル・モースは未開社会の経済原理は「贈与と返礼」にあると説いた。つまり「略奪」は良いことではなく、対立せずに「贈与」を受けた側は「それに見合う例を尽くす」ということだったという。
つまり「贈り物」をして「感謝を返す」という非常に倫理的な規範があったということらしい。
「ターゲットは中堅企業」「開発はすべて自社で」「販売は直販のみ」「ほとんどが新卒社員から」「営業とSE職はマルチで経験」。
どれを取っても既存のセオリーとは違うことだが、その「逆張り」を徹底した経営者が成功している。
それぞれ自分たちの持つ「持ち味」を分析し、そこに「工夫」をしていくことで「自分なりのオリジナル」を編み出していったことがわかる。
俗に「世の中の問題の八割は"金"で解決できる」ともいう。
お金は、実はそれほど大事なものでもある。
簡単なことだけれど、つまり「犯人を吊るし上げない」「告発者を暴かない」「そもそもの原因を考える」というような基本的なことができていれば、それほど組織は腐らないものだ。
*[この一冊]変わる価値観。
昨年読んだ中で一押しの一冊。
軽いタッチで、しかも各章にまとめがされているという参考書のような体だが、中身は驚くような「思考の転換」を示唆している本だった。
一見なにやらのHOW TOものに見えるがさにあらず。
自分は大事な部分にマーカーしていたら、実に七割がたがマーカーで埋まってしまっていた。
久々に出会った良書だと思います。
良本は数あれど、一生でめぐり合うのはよくて十数冊ではないでしょうか。
(その十数冊のために「気の遠くなる読書」をしているのかと思うとゲンナリもしますが、だから読書はよいのでしょう)
自分にとっては「七つの習慣」「web進化論」以来のインパクトでした。
ところでいくら良書に出会っても、実際に「行動が変わる」という機会はあまりありません。
その意味で「ニュータイプの時代」はあくる日からの自分の思考様式を変えてしまいました。
「これまで正解とされてきた知識」「これまでは当たり前とされてきたスタイル」が次々と打ち砕かれ、ここ数年自分が「どうもうまくいかないな」と思っていたことの大体が説明できたような気がしました。
まさに「ニュータイプの登場」を意識できているのといないのでは、自分の反応が180度変わることを実感しました。
今年の自分は、このニュータイプの価値観を極力追いかけることを心がけたいと思っています。
*[年頭所感]若者の時代。
あけましておめでとうございます。
今年はどんな年になるでしょうか。
昭和のラベルであった「高度成長期」はともかく。
昭和の後半から平成へと、時代のイニシアチブは実質「60歳以上」の世代が握ってきたと思います。
政治家の多くはその年代の人たちが中心にいました。
いや今もいます。
この間に変わった最大の環境といえば「ネット」ですね。
年寄りの時代にはなかったネットが今はすでに張り巡らされています。
つまり「発言力」は急速に「均等化」されようとしています。
「大人が隠し、押さえつけていたこと」はこれからは通じないでしょう。
80歳の爺さんも、50歳の大人も、18歳の若者も「本当にタイマン」に発言する社会の到来。
これまでの「こけ脅し」「ごまかし」が通じません。
若い彼らは存外に鋭いセンスを持っています。
大人の嘘なんて見抜いて、本当に共感できることにだけ賛成するでしょう。
一部の団体に阿(おもね)るようなこともなく。
新しい民主主義はネットとともに始まりそうな予感です。
本年もどうぞよろしくお願いします。
*[振り返り]本当の働くこと。
今年一番感じたことといえば「働く自由人」と数多く出会ったことである。
働き方改革、とかいう話ではなく本当に「自由に働く人」のこと。
自分の価値観やルールに従って、粛々と我が道を行く、と言えばいいだろうか。
フリーランスはもちろん。
不動産投資をしている人や、ミュージシャン、料理人、起業家などなど…
特に二、三十代の若手や熟年の起業家の人たちは「自分のやりたいことをひたすら追求する」という態度が顕著だった。
だらだら遊んでいるのでは決してないが、「趣味と学びと仕事」をごちゃ混ぜにしていて、そして「かなり楽しそうな印象」が特徴だったと思う。
自分のやりたいことと、仕事と趣味と、プライベートも重ね合わせるような余裕が出てきた時代なのかな、と思っている。
折しも人工知能の台頭で「手間仕事はほぼ消滅する」ことがリアルになってきた一年でもあった。
ひょっとしたら来年の2020年くらいが「AI元年」などとあとから言われるのではないだろうか。
本当の働き方改革は、実はひっそりと始まっているような気がする。
*[振り返り]アウェーに学ぶ
毎年、年末になる二日ほどはその年を振り返るのが自分のくせらしい。
昨年はこんな感じで健康のことばかり書いていました。
で今年は何と言っても、複数の福祉施設で実習を受けられたことが一番のトピックでした。
これまでも老人ホームやデイサービスへはしばしば訪問していましたが、
「利用者の立場」で施設を見ているのと「提供者の立場」でいるのではそれこそ180度立場が違う、ということが実感できました。
また「提供サイド」から見た高齢化社会とか、高齢者ご本人の人生観・健康観・家族観などの様々な価値観について、また現在の日本の福祉制度についても実に考えることの多い一年でした。
そして、あと20年もすれば「後期高齢者」になる自分世代がどのような人生観・死生観を持っていなければいけないのか、ということをはっきり意識するようになりました。
何事も「現場がすべて」と言いますが、現場を見ずしてはどんなに優れた戦略も"魂"が入らないのだ、と改めて思っています。
現場に、アウェーにすべてのヒントがあることを再確認した一年でした。
今までの先払いやクレジット決済に潜む微妙な不安感が払拭されて好評だという。
30年ほど経った今の三十代以下の人たちは、そんな分かりにくい議論に付き合わないような気がしてならない。
それにしてもいずれは「宇宙(衛生)で発電し街中に給電する」ということにまでなれば、まるで様子が変わりそうだ。車も電車もまるで永久機関かと勘違いするような世の中になるらしい。
公務員系の仕事はすべてが「公務」なわけで、こうした仕事の削減が長期的な目標になるはずだが「そこ」で食べている人がいる限りは、激変は緩和して「そろそろ」と進めていくしかないのが日本の特徴だ。
12/5(木) 9:30配信
2015年1月に施行された相続税の増税。富裕層を中心にさまざまな節税対策も行われるが、“行き過ぎ”節税策に国税当局が「待った」を掛けている。【週刊エコノミスト編集部】
◇相続したマンションの価値は?
北海道や東京都に住む相続人3人が、札幌南税務署長の更正処分(納税額の修正)を不服として処分の取り消しなどを訴えた裁判で、東京地裁は今年8月、相続人側の主張を棄却した。争点は、相続人が相続した東京都杉並区や川崎市のマンション計2棟の価値を、いくらと評価するかという点だ。
判決などによると、札幌市に住む会社経営者の男性は09年1月、杉並区の賃貸マンション1棟(44戸)を約8億3700万円で、同12月には川崎市の賃貸マンション1棟(39戸)を約5億5000万円で購入。男性は12年6月に死亡し、相続人3人は13年3月、相続税を申告した。
相続税は、亡くなった人の財産から、借金などの債務と葬儀費用を引いた金額のうち、基礎控除額を超えた分に課税される。相続人3人は、杉並区のマンションを約2億円、川崎市のマンションは約1億3400万円と評価して申告。一方、会社経営者はマンション購入資金として10億円超を銀行などから借り入れていた。
こうした点を考慮し、相続人は相続税を「ゼロ」として申告した。しかし、国税側は16年4月、杉並区のマンションを約7億5400万円、川崎市のマンションを約5億1900万円とする鑑定評価を基に、相続人3人の相続税額を約2億8700万円と修正。約4300万円の過少申告加算税も課した。
◇「伝家の宝刀」を抜く
相続税の申告に当たり、相続財産をいくらと評価すればいいのか。国税庁は「財産評価基本通達」で、土地や建物、株式などの評価方法を細かく定めている。土地は国税庁の発表する路線価を基に、建物は固定資産税評価額を基に計算することが原則。相続人も基本通達に沿ってマンション2棟を評価し、相続税を申告した。
路線価はそもそも、相続や贈与に伴って納税者の負担が重くなり過ぎないよう、国土交通省が発表する公示地価の8割の水準に設定されている。また、建物が借家の場合、借家権が付く分だけ評価額を30%引き下げたりもする。実勢価格に比べて低くなる基本通達の評価方法に従って、相続人は相続財産を評価した。
だが、国税庁は、申告されたマンション2棟の相続税評価額と、時価との間に「著しい乖離(かいり)」があることを問題視。基本通達の評価方法を適用すれば、納税者の税負担の公平を著しく害する「特別な事情」に当たるとして、別の方法による財産評価を例外的に認めた基本通達「6項」の適用という“伝家の宝刀”を抜いた。
相続税法は相続財産の評価の原則を「時価」としているが、具体的な評価方法までは定めていない。その「時価」を評価するルールとなっているのが基本通達だ。相続税申告の実務で現在まで定着している根底には、「6項」の適用を乱発しないことで国税当局と納税者の間の信頼関係が築かれた側面もある。
それでも、国税側はまさに今回、「6項」を適用した。税理士法人タクトコンサルティング情報企画室の遠藤純一課長は「判決によれば、経営者が借り入れた銀行の稟議(りんぎ)書に『相続対策のため不動産購入を計画』などと書かれている。国税側は不動産の評価額の乖離だけでなく、節税策が行き過ぎと判断したのでは」と話す。
◇不明確な基準
しかし、「6項」の適用は増える傾向にありそうだ。相続増税後、国税側が相続税評価額と時価との「著しい乖離」に神経をとがらせていたことがうかがえる資料がある。東京国税局が15年7月、相続税など資産税の担当者向けに配布した研修資料には、基本通達の6項を適用するための四つの条件が示されていた。(1)基本通達の評価方法を形式的に適用する合理性の欠如、(2)基本通達に定めた評価方法のほかに合理的な評価方法が存在、(3)基本通達の評価方法による評価額と、他の合理的な評価方法による評価額との間に著しい乖離が存在、(4)著しい乖離が生じたことに納税者の行為が介在していること--だ。
国税側はまさに今回、こうした4条件を当てはめて、相続税の過少申告を指摘。東京地裁判決も、こうした国税側の主張を全面的に支持する結果となった。しかし、相続人の代理人を務める増田英敏弁護士は「これでは、いつ誰が(国税に)狙われるか分からなくなる」と憤る。「6項」が恣意(しい)的に適用されかねないためだ。
何を持って「著しい乖離」とするか、その基準が明確でなく、納税者に混乱を与えかねない。同じような条件の他の納税者にも6項が本当に適用されているのか、納税者に不信感も抱かせる。そもそも、基本通達の評価方法に穴があるのであれば、基本通達自体を見直すべきではないか--。
相続人は判決を不服として東京高裁に控訴したが、判決の余波は不動産市場にも及ぶ。税理士法人大和パートナーズの加賀光義代表社員は「相続税対策として販売されることも多かった投資用不動産市場では、今回の判決で多少のブレーキがかかるのでは」と話す。
(週刊エコノミスト12月10日号から)