藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ただ国政を嘆くのではなく。


子供手当の上限枠の是非だとか、減税の年収額の引き上げ、とか毎日「何がしか」の税金がらみの(というか国の歳入出関係の)報道を目にする、けど心配で仕方ない。

普通に国のバランスシートを眺むると「到底そんな状態ではない」という話である。

「歳入(37兆)の三倍近い予算(92兆)を組む」ということと、それが
国債発行前提」であること、そしてなんと来年末の累積赤字は973兆円。
国債は今はゼロ金利近く(最近上がっている)」のものであることを考えると、もう数パーセント金利が上がっても今の37兆円の歳入では「返済アウト」である。


というか、もう利払いだけで歳入が消える。
これはよくある「個人の多重債務のケース」でも相当ひどい。
闇金に利払いだけする状態のようなものである。


政権は何処が担おうとも、国の損益バランスを変えねば、結局今の国民のお金がパーになるだろうことは、小学生にでもわかる話。
消費税をあげ、福祉のビジョンを示し、先進国でも未曾有の「超高齢化」へと向かうのである。

税金は高くとも、飢えない日本を!

とかまともなビジョンを早く示してもらわないと、本当に破綻する。
といっても、今の政権担当者からすれば「大出血覚悟」のリストラプランを発表して批判の嵐にさらされるより、だまって国家財政が傾いてゆくのを見ている方が「抵抗値」が低いのかもしれない。
なぜなら「過去の借金」は連綿とこれまでに積み上がったものだから、「現時点で特定の犯人」はあぶり出しにくいのである。


どうせ80年代バブルが弾けた辺りから話が始まり、その後の金融政策のまずさを指摘して、その後2000年のITバブル崩壊リーマンショックへと続く話が語られるだけで、今の民主政権は「最後のババ抜き」くらいのことしか言わぬと思われる。


こう考えてみると、「大英断」を敢えてしないのは、日本人というか、日本という国の根本的性質なのかもしれない、とすら思う。
決して為政者のせいだけではなく、我われ日本人というのは未必に、決して口には出さないけれど「実はそんなユルユルの崩壊」を「敢えて選択する」という「グズグズ型」の民族なのではないか。
でも、「そんな潔さのなさ」も悪いとばかりは言えない。
内田樹師匠の指摘する「生き延びるため、表面上の和を保つために営々と培われた知恵」だとも思うのである。


ともかく、財政の見直しが絶対の急務である。
一国民としても生活の激変を覚悟せねばならない。

首相、基礎年金の国庫負担率「2分の1を維持する方向」 
菅直人首相は6日、首相官邸での記者会見で、2011年度予算編成の焦点となっている基礎年金の国庫負担割合について「いったん2分の1に国庫負担を引き上げているので、なんとか維持する方向で予算編成を進めてもらいたい」と述べ、現行の国庫負担割合を維持する方針を明らかにした。