藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

なぜかやってないこと。

糸井さんのブログより。
いくつもスクラップしていたのを少し整理し始めたらずい分な数になっている。
(いつも最後に引用させていただいているけれど、もしクレームを受けたら本文は直ちになくなりますのでご承知おきください。)

 a)みんな(大勢)がやっていると思っていたけど、
   たった一握りの人しかやってないこと。

 b)わたし(少数)だけがやっているつもりだったのに、
   みんながやっていたこと。

 c)みんな(大勢)がやっているのだろうと思ってたけど、
   実際に、みんながやっていたこと。

 d)わたし(少数)だけがやっているのだと思ってたけど、
   やっぱり、ほんとにわたしだけがやっていること。

 いろんなこと、だいたい上記の4つに分類できそうです。
 「やっている」と記したところには、
 「知っている」とか「思っている」と入れてもいいです。

特にa)とd)、が「共有できればとても面白いこと」である。
こういうことが広まるのがウェブの知のメリットだろう。
特に損得関係なしに「いい話」が広まると世の中はよくなる。楽観的。

で自分なり補足させてもらうと

「だれもがやって欲しいと思ってたけど、なぜかだれもやっていなかったこと」

を日々自分たちは探しているのだと思う。

何だかここ十年ほどそういうことばかり考えているのだけれど、なかなか「ああこれだ!」というものには行き当たらない。
大概はb)の「わたしだけが思いついたと思っていたのに、結構な人が思いついていた」というカテゴリーに放り込まれてガクッとくるのであった。

それでもずーっとそういうことばかり考えていれば、そのうち「思いついた人は少数」だったり「何かの理由でうまく世の中に広まっていなかったり」ということがあったりして、少し実になっていったりもするものだ。
だから考え続けることはずーっと必要だ。

09月05日の「今日のダーリン」・以下の文、ちょっと言い方がややこしいので、
 ゆっくりめに読んでくれるとありがたいです。

 a)みんな(大勢)がやっていると思っていたけど、
   たった一握りの人しかやってないこと。

 b)わたし(少数)だけがやっているつもりだったのに、
   みんながやっていたこと。

 c)みんな(大勢)がやっているのだろうと思ってたけど、
   実際に、みんながやっていたこと。

 d)わたし(少数)だけがやっているのだと思ってたけど、
   やっぱり、ほんとにわたしだけがやっていること。

 いろんなこと、だいたい上記の4つに分類できそうです。
 「やっている」と記したところには、
 「知っている」とか「思っている」と入れてもいいです。

 c)とd)の場合については、当たっているので、
 あんまり問題はないわけです。
 b)とかa)についての思いちがいは、よくあることですが、
 いろんな思考や行動を間違わせます。

 ここで、親切に、いろんな例をあげて、
 「ほらね」とか言うほうがいいのかもしれませんが、
 めんどくさいので、そのまま書きっぱなしにします。
 あのこと、このこと、ごじぶんなりに、
 いろんなことを想像しては代入してみてください。

 あなたの背後に、あなたの考えに
 ものすごく同感する人がいると思っていても、
 ぜんぜんいないという場合もよくあるでしょう。
 あなたが、選ばれた人であるがゆえに、
 ずいぶんいろいろ大事なことを知っていると思ってても、
 そのくらいみんな知ってるよ、ということもありそう。
 
 少数であることを気どらない。
 多数であると思って調子にのらない。
 考えるべき重要なことは、多さや少なさじゃない。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼくの「ほぼ日手帳」にあったメモをそのまま書きました。