藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

多様性のヒーロー。

*[次の世代に]あなたの先は常に明るい。
流行に疎いので、「しばしばアメリカで生まれるスーパーアイドル」くらいにしか思っていなかった。
バイセクシュアルを標榜するレディー・ガガが実は「多様性の象徴」だったとは知らなかった。
 
アメリカはやはり「常に新しい、自由なもの」を追いかける象徴だと思う。
圧倒的に、マイノリティにも、若者にも、弱者にも、貧困者にもカタルシスを与える。
現実の世界はそこまで理想的ではないから、みんな「現実の諦め」の日常に生きてはいる。
けれどそことは違う「自分なりの価値観」とか「自分の好みの尊重」とか「自己肯定感」とかを国民に提示し続ける国がアメリカだ。
 
そこにはちょっと理想論ばかりで「胡散臭い」雰囲気だって漂うけれど。
それでも人は「そういう明るさ」を求めて生きているのだと思う。
そんな気持ちが持てさえすれば、厳しい現実はむしろ乗り切れさえするのかもしれない。
 
常に時代の先端に、新しい形のヒーローを生み出し、貧困や差別や戦争さえも「前向きな何か」に誘導していく。
実に優れた「国の運営メソッド」なのではないだろうか。
多分に劇場的だけれど、一般の国民って実は「そういうもの」に馴染みやすい。
どうしたって「大丈夫。先は明るいよ」と思って生きていきたいものなのだろう。
 

神様ではないレディー・ガガ ミレニアルの憂鬱(2)

きらびやかなネオンサインが連なるラスベガス。米国のミレニアル世代を代表する歌手、レディー・ガガ(33)は2018年末から2年間にわたる長期公演を始めた。そこに集う熱狂的なファンの多くもミレニアル世代だ。ガガは集まったファンたちに「あなたはありのままでいいの」と語りかける。神に救いを求めるかのようにガガを信奉するファンたちは、ガガに何を求めているのか。
車を5時間運転して駆けつけたゲイのジョージ(左)とボーイフレンド(2月、ネバダ州ラスベガス)
■ガガは2人目の母
「ガガのファンになってもう10年。僕にとって、ガガは2人目の母みたいなものかな」。22歳でゲイ(男性同性愛者)のジョージは、ボーイフレンドとその妹と一緒にカリフォルニアから車を5時間近く運転して、ラスベガスまでやってきた。メキシコ系移民らしい褐色の肌に、真っ黒な口紅が印象的だ。ジョージは「ガガは全ての人種、どんな性的嗜好も受け入れて、勇気づけてくれる存在なんです」と話す。
08年8月、ドイツでのコンサート=AP
ガガは現代の米国を代表するシンガー・ソングライターだ。08年にメジャーデビューすると、世界各国でチャート1位を獲得し、スターへの道を駆け上がった。ツイッターのフォロワー数は世界6位の7800万件超で、トランプ米大統領(約6000万件)らを上回る。
10年9月、MTVビデオ・ミュージック・アワードで生肉ドレスを着るレディー・ガガ=AP
■「生肉ドレス」に込めた思い
現代アートのような独創的なファッションで知られるガガ。しかし単に奇抜さだけを狙ったものではない。10年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでは生肉でできたドレスを着て授賞式に現れ、動物愛護団体が「不快な行為だ」と非難するなど、物議を醸した。ドレスの意図について、ガガは後に語っている。「もし信じるものや権利を守るために闘わなければ、すぐに私たちは骨と肉ほどの権利しか持てなくなる」。当時社会問題になっていた、同性愛者を排除する米軍の規定への抗議だった。
ショーの看板の前で写真を撮るファンたち(2月、ネバダ州ラスベガス)
2月のラスベガス公演会場はジョージをはじめとする熱心なファンで超満員だった。会場を見回してみると気付くのは、同性のカップルの多さだ。25歳のルイーザと28歳のコリーンも女性同士のカップル。「隣人を大切にし、分け隔てなく誰とでも接するというガガの考え方に深く共感する」とコロラド州から来たルイーザは語る。
17年2月、米プロフットボールNFLの優勝決定戦「スーパーボウル」のハーフタイムショー=AP
LGBTへの賛美歌
バイセクシュアル(両性愛者)を公言するガガ。11年に発表された代表曲「Born This Way」は、LGBT性的少数者)や有色人種ら社会のマイノリティーに向けた賛美歌だ。歌詞を公開する直前の11年1月、ガガは自身のツイッターに「これは何年も前から私の心の中にあったこと。みんなと共有できてうれしい」と投稿した。
その曲が披露されたのはコンサートの終盤だった。「ゲイでもストレートでもバイでも レズビアンでも性転換をしたって 私は正しい道にいる」。生まれたままの自分を愛そうというガガの言葉は、多様なバックグラウンドを持つ観客一人ひとりを包み込む。「黒人 白人 ベージュ(黄色人種)だろうと ラテン系でも東洋人でも 生きるためにこの世に生まれてきた 私は正しい道を歩いている」。ガガが肯定するのは、組織や宗教になじめず社会から拒絶されたと感じる人々だ。
ガガの先輩、前駐日米大使のキャロライン・ケネディ氏の初登校(1965年9月、ニューヨーク)=AP
カトリック系名門女子校で育つ
将来レディー・ガガを名のることになる少女、ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタが中学・高校生時代に通った学校がニューヨークにある。マンハッタンの高級住宅街アッパーイーストサイドにあるカトリック系の私立女子校「セイクリッド・ハート」で、ケネディ前駐日米大使も通った名門校だ。
「ステファニーは他の生徒と比べておとなしく、友人との交流にも慎重な少女に見えましたね」。同校で当時数学を教えていたクリス・ホワイト牧師は、当時のガガの姿を鮮やかに思い出すと語る。彼女がピアノを弾き、生き生きと歌う姿が今でも目に浮かぶというが、ガガによると彼女はこの頃いじめに苦しんでいたという。
同校では毎週キリスト教の授業があり、聖書や礼拝、イエス・キリストについて学ぶ。「残念ながらステファニーのLGBTの権利に関する主張には同意することができません」。現在はキリスト教の中でも特に保守的な福音派として活動するホワイト牧師は、この点については譲らない。
「聖書は神が私たちを男性と女性に分け、結婚は男女がするものだと教えています」とホワイト牧師。解釈は宗派によって異なるが、聖書には男女の婚姻を神の秩序と述べ、同性愛を罪とみなすような記述がある。「我々は罪を犯します。神の許しを受け、同性愛から立ち直り幸せになった人を私はたくさん知っています」と牧師は話す。
18年の米誌バラエティーのインタビューで、ガガは「学校でいじめられて自分に自信が持てず、醜い人間だと感じていた。唯一の逃げ場が音楽だった」と回想した。この頃の体験が彼女のマイノリティーへの理解につながったようだ。いじめの原因について、ガガは「自分の大きすぎる夢」を同級生に理解されなかったなどと説明しているが、保守的な校風が居心地の悪さにつながっていたことは想像に難くない。
18年9月、カナダでの記者会見=AP
■ミレニアル世代、増えるLGBT
性的少数者であることを自認する人はミレニアルを中心に増えている。米調査会社ギャラップの推計によると、米国のLGBTは成人の4.5%(17年時点)。全人口で換算すると約1500万人に相当する。ミレニアル世代のLGBT比率は8.2%と高く、12人に1人にあたる。その上の世代の「ジェネレーションX」(40~54歳)の2.3倍、「ベビーブーマー」(55~73歳)の3.4倍だ。特にニューヨークやロサンゼルスなどリベラルな大都市では、同性のカップルの存在が日常に溶け込んでいる。
一方、米国社会全体がこうした性的少数者に寛容かと言えば、答えはノーだ。米国の若者を調査するジェンフォワードが18年6月に公表したリポートでは、「全ての人種の若者が米国にはLGBTに対する差別があるとみている」と指摘する。
実際、16年6月にフロリダ州オーランドで起きた銃乱射事件では、ゲイが集うナイトクラブが狙われた。米メディアの報道によると、犯人の男は日ごろから同性愛者を嫌悪する発言を繰り返していたという。今の米国では人種による分断だけでなく、性的少数者との溝も確実に深まっている。ミレニアルは本人だけでなく周囲にもLGBT当事者がいる可能性が他の年代より高く、その悩みも身近な問題となっている。
■ミレニアル世代、増える宗教離れ
ローマ法王フランシスコもカトリック教会でタブー視されてきた同性愛について寛容な姿勢に転じつつあるが、保守的なキリスト教徒の間では同性愛や妊娠中絶、離婚などを認めない考え方もいまだ根強い。ガガと同じくカトリック系の学校に通ったニューヨーク在住のAT・ヌネズ(32)は「ずっと自分を批判されている気分だった。多くの同級生は不可知論者(神の存在は証明できないとする立場)か無神論者になった」と話す。
13年8月、MTVビデオ・ミュージック・アワード=AP
多様性を重視するミレニアル世代の「宗教離れ」は加速している。米調査機関ピュー・リサーチ・センターの14年の調査では、「無宗教」と答えた人の割合はミレニアルの年長組(1981~89年生まれ)で36%、年少組(90~96年生まれ)で34%に達した。彼らの親世代にあたるベビーブーマー(17%)の約2倍で、もはや米国は無宗教が異端視される社会ではなくなっている。
■等身大の歌姫
とはいえ、宗教から距離をとる若者にとって、人生の道しるべを求める思いが消えたわけではない。彼らの心のよりどころの一つになったのが、もがきながらも強く生きる等身大のガガだった。
19年2月、アカデミー賞授賞式で=AP
17年、ガガに1年間密着したネットフリックスのドキュメンタリー番組で、ガガは過去に経験したレイプやいじめによるトラウマ、婚約者の別れまでをカメラの前にさらけ出した。ガガは同様の被害に遭った若者を支援する活動に力を入れている。2月のアカデミー賞授賞式では、ガガは映画「アリー/スター誕生」の最優秀主題歌賞に選ばれ、受賞スピーチで「私はこのために何年も努力してきました。あなたも夢があるなら戦って」と涙ながらに語った。
「ガガはあなたの神様ですか?」。ラスベガスのコンサート会場でファンに尋ねて回ると、答えの多くは「ノー」。「ガガは等身大の人間だから」との理由が目立った。
「私は私のままで美しい なぜなら神様は間違ったりしないから」(Born This Way)。悩めるミレニアル世代に響いたのは聖書の教えよりも、今の時代を共に生きるガガの言葉なのかもしれない。
=敬称略、つづく
(ニューヨーク=平野麻理子)
 

 

ロジックの氾濫(2)

*[ウェブ進化論]AIが取り囲む社会。
日経より。
AIによるプログラミングやデータ処理の自動化がいよいよ進んでいる。
「どんな判断のロジックがどこで動いているか」をすでに人がすべて把握できない時代になった。
SF映画で「コンピュータが勝手に武器を製造して人を攻撃し始める」というのも、そういうロジックを作っておけば「きちんと処理される」だろう。
怖いのは、そういう制御できないほどのプログラムを処理できる「ハードとソフト」という道具に違いない。
刃物が生活を便利にし、でも人を傷つけるのと同様に、コンピユーターも「ただ利便性のため」では許されない存在になってきたのだ。
 
GAFAと呼ばれる米国のIT大手が情報を独占している、という話題はまだこれからの「AI氾濫時代の序章」の現象に過ぎないだろう。
オークションハウスのクリスティーズが昨秋、アルゴリズムが生み出した絵画をニューヨークで出展したところ、43万2500ドル(約4800万円)もの値段がついた。
14~20世紀の肖像画を1万5千点もAIに読み込ませて描いた。これ以来、AI絵画は大流行している。 
こうしたあたりが「AIとリアルの融合」の水際になりそうだ。
4800万円の絵の価格は、多くの作家の作品よりも高いだろう。
さらに。
数歩下がって見ると、人間同士がやり取りしている周りを、AIがぐるりと囲んでいるように感じられないだろうか。
我々はただのデータ生成機械ではないかとも見えてくる。
そうか。
生の「意外なデータ」は人間が作ってサンプルを出せばいい。
AIはそれを、膨大に・自由に加工して、より広く大量な結果を生み生み出すことができそうだ。
AIとの共存には、それくらい「彼らとの関係を俯瞰する目」が必要になると思う。
人の役割は、ますます創造性を問われる時代になりそうだ。
 
 
アルゴリズム絵画4800万円 AI学習データ、誰のもの?
2019年5月1日 19:30
アルゴリズム絵画4800万円 AI学習データ、誰のもの?
このところ、人工知能(AI)が学習のために使うデータは一体誰のものか、という議論が目立っている。
IBMはAIの学習のため、フリッカーに投稿された顔写真を断りなく用いた
最近では、写真共有サービス「Flickrフリッカー)」に投稿された人の顔の画像を100万枚利用して、米IBMがAIの学習用に処理しデータセットとして研究用に共有すると発表して、反論が巻き起こった。写真に写った誰も、自身の顔が利用される許可を求められなかったからだ。撮影者にも断りはなかった。
フリッカークリエイティブ・コモンズ(CC)の画像の投稿で知られる。CCは指定のクレジット記載に従えば、無料での利用に同意するもの。だがリユースやリミックスなど創造目的が前提で、AIを訓練するデータとなるとは予想外のことだ。
IBMは公正な顔認識技術を実現するため、フリッカーの顔写真を使ったという。
学習データが偏ると、AIが判断する結果にも受け継がれる。皮膚の色が濃い女性は顔が正確に認識されにくい傾向がある。白人中心、男性中心のデータがAIの学習に利用されてきたことに原因がある。そうしたバイアスを取り除くために多様な顔の画像が集まるフリッカーを利用した、CCの画像は公平さという目的に貢献している、という主張だ。
昨年は、フェイスブックが傘下のインスタグラムから35億枚もの画像をAIに学習させたことが議論を呼んだ。
画像認識の機能を向上させるため、普通なら開発者らが画像の内容に注釈をつけ、AIに画像と内容の照合を学習させる。それをユーザーが投稿時につけるハッシュタグで代用した。ユーザーがAIの下働きをしている格好だ。すてきな写真の投稿がこんなふうに使われるとは。ユーザーは事前に知らされるべきではないのか、という疑問が沸き起こった。
たきぐち・のりこ 上智大外国語(ドイツ語)卒。雑誌社、米スタンフォード大客員研究員を経てフリージャーナリストに。米シリコンバレー在住。大阪府出身。
もっと分かりにくい事態も起きている。AIが生み出すアートである。
オークションハウスのクリスティーズが昨秋、アルゴリズムが生み出した絵画をニューヨークで出展したところ、43万2500ドル(約4800万円)もの値段がついた。この絵は14~20世紀の肖像画を1万5千点もAIに読み込ませて描いた。これ以来、AI絵画は大流行している。
著作権侵害にならないような古い絵画を学習させるケースもあるが、現存する画家の作品を元にした作品もそのうちたくさん出るだろう。AI絵画に高価な値段がついた場合、分け前を渡せと主張する人が出てもおかしくない。
同じことは音楽の分野でも危惧されていて、アーティストが満身の力で作った曲の数々をAIが横取りすることになるのではないか。疲れ知らずのAIは、人の作品を貪欲に食べて新たな作品を吐き出していく。
数歩下がって見ると、人間同士がやり取りしている周りを、AIがぐるりと囲んでいるように感じられないだろうか。我々はただのデータ生成機械ではないかとも見えてくる。結果がいいことにつながるのならば文句はないが、顔認識のように翻って我々を監視する技術につながるのならまったくの主客転倒だ。
[日経MJ2019年4月29日付]
本コンテンツの無断転載、配信、共有利用を禁止します。

ロジックの氾濫(1)

*[ウェブ進化論]人を超える部分。
日経より。
自分は、まだAIは「限りなく自動プログラミングに近いシステム」でしかないと思っている。
膨大な画像を処理したり、IoTでセンサーがあまねく散りばめられても「勝手な処理」は実行されない。
それが起こるとしたら、それは「こういう勝手な処理をしなさい」という人のプログラミングの仕事である。
将来のAIと言うのも、こうした「自動プログラミング」の集まりに違いないけれど、これが「人の社会」に入り込んでくると厄介なことになる。
 
どこからが「自動プログラムの仕事か」が分からなくなるからだ。
「こういうデータが増えた時には、入り口を閉じなさい」というロジックが、いろんなところで埋め込まれたとしたら。
「どこからが機械だけのロジックで構成されているのか」をすでに自分たちは判断しにくくなっている。
「なぜ悪性腫瘍を識別できるのか」というロジックを医師たちは知らされていない。
いろんな「判断のロジックプログラム」が増えるにつれ、機械任せになってしまう。
 
もうシステムの色んなところに、そうした「ブラックボックス」はできている。
かといって「すべてのロジックを人が指示する世界」には到底戻れない。
コンピュータの処理能力が、完全に「人のコントロールできる範囲」を超えてしまったのがここ一年のことだろう。
(つづく)
 
 
アルゴリズム絵画4800万円 AI学習データ、誰のもの?
このところ、人工知能(AI)が学習のために使うデータは一体誰のものか、という議論が目立っている。
IBMはAIの学習のため、フリッカーに投稿された顔写真を断りなく用いた
最近では、写真共有サービス「Flickrフリッカー)」に投稿された人の顔の画像を100万枚利用して、米IBMがAIの学習用に処理しデータセットとして研究用に共有すると発表して、反論が巻き起こった。写真に写った誰も、自身の顔が利用される許可を求められなかったからだ。撮影者にも断りはなかった。
フリッカークリエイティブ・コモンズ(CC)の画像の投稿で知られる。CCは指定のクレジット記載に従えば、無料での利用に同意するもの。だがリユースやリミックスなど創造目的が前提で、AIを訓練するデータとなるとは予想外のことだ。
IBMは公正な顔認識技術を実現するため、フリッカーの顔写真を使ったという。
学習データが偏ると、AIが判断する結果にも受け継がれる。皮膚の色が濃い女性は顔が正確に認識されにくい傾向がある。白人中心、男性中心のデータがAIの学習に利用されてきたことに原因がある。そうしたバイアスを取り除くために多様な顔の画像が集まるフリッカーを利用した、CCの画像は公平さという目的に貢献している、という主張だ。
昨年は、フェイスブックが傘下のインスタグラムから35億枚もの画像をAIに学習させたことが議論を呼んだ。
画像認識の機能を向上させるため、普通なら開発者らが画像の内容に注釈をつけ、AIに画像と内容の照合を学習させる。それをユーザーが投稿時につけるハッシュタグで代用した。ユーザーがAIの下働きをしている格好だ。すてきな写真の投稿がこんなふうに使われるとは。ユーザーは事前に知らされるべきではないのか、という疑問が沸き起こった。
たきぐち・のりこ 上智大外国語(ドイツ語)卒。雑誌社、米スタンフォード大客員研究員を経てフリージャーナリストに。米シリコンバレー在住。大阪府出身。
もっと分かりにくい事態も起きている。AIが生み出すアートである。
オークションハウスのクリスティーズが昨秋、アルゴリズムが生み出した絵画をニューヨークで出展したところ、43万2500ドル(約4800万円)もの値段がついた。この絵は14~20世紀の肖像画を1万5千点もAIに読み込ませて描いた。これ以来、AI絵画は大流行している。
著作権侵害にならないような古い絵画を学習させるケースもあるが、現存する画家の作品を元にした作品もそのうちたくさん出るだろう。AI絵画に高価な値段がついた場合、分け前を渡せと主張する人が出てもおかしくない。
同じことは音楽の分野でも危惧されていて、アーティストが満身の力で作った曲の数々をAIが横取りすることになるのではないか。疲れ知らずのAIは、人の作品を貪欲に食べて新たな作品を吐き出していく。
数歩下がって見ると、人間同士がやり取りしている周りを、AIがぐるりと囲んでいるように感じられないだろうか。我々はただのデータ生成機械ではないかとも見えてくる。結果がいいことにつながるのならば文句はないが、顔認識のように翻って我々を監視する技術につながるのならまったくの主客転倒だ。
[日経MJ2019年4月29日付]
本コンテンツの無断転載、配信、共有利用を禁止します。

一周回って。

*[次の世代に]アートは疑問を生み出す。
日経より。
シリコンバレーでは会社や部署ではなく、自分自身が何者なのかを問われる。
「あなたはどうしたいの?」「あなたはどう考えているの?」と聞かれるのは日常茶飯事だ。
(中略)
ここに至るためには、内省を深め、徹底的に自分の頭で考える必要があるため、昨今リベラルアーツやマインドフルネスが注目されている。
外部に目を向けるのではなく、自分の内部に目を向けるためだ。
シリコンバレーの人たちは「ともかく人と違うもの」「ともかく新しいもの」という特有の指向性を感じるが、そんな彼らが「本質に向けて」を深く考えるというのは面白い。
さらに
テクノロジーとデザインの領域で著名なジョン・マエダ氏は「デザインは問題を解決し、アートは問題を提起する」と言う。
「アートはよく分からない」というのはむしろ想定通りで、アートは疑問を生み出してくれるのである。
だからこそ、こういったアートに触れたりして、「自分」について内省を深めていく時間が何よりも大切だ。

 SNSで他人の人生をのぞいている時間を、自分の時間に取り戻すべきだ。

そして「まず「自分とは何者なのか」をクローズに孤独に問い続けなければいけない」と。
本当に。
自分とは何者なのだろうか。
 
協業の前に自らに目を
2019年4月25日 21:30
協業の前に自らに目を
多くの企業があらゆる枠組みを超えて外部の技術やアイデアを活用するオープンイノベーションに取り組んでいる。レゴやスターバックスのように新商品開発のために自社ウェブサイトで、オープンにアイデアを募るやり方もあれば、ウォルト・ディズニーエアバスのようにアクセラレータープログラムを運営してベンチャー企業との協業を進めるやり方もある。
日立製作所を経て2008年にSAPジャパンに入社。15年よりシリコンバレーにあるSAP Labsに赴任、日本企業の変革・イノベーションを支援。18年2月にスタートアップ支援のWiLのパートナーに
アリゾナ州を拠点とするローカルモーターズは世界初の3Dプリンターを使った自動運転車の開発で有名だが、世界中の社外の技術者が集まるウェブ上のコミュニティーを築き、企画から設計、製作までを外部と共創して進めることでも知られている。
一方で、他社との協業が進まない、ベンチャー企業とのマッチングイベントに出たりコワークスペースに行ったりしても成果が出ないという声もよく聞く。そういった現場を間近でみていると、おうおうにして自分のやりたいテーマが明確でないのに、とにかく協業すること自体がゴールになっていることが多い。
自分はこれをやりたいという強い意思こそがオープンイノベーションの要になる。それに向けて足りないピースを埋めるために協業という手段があるはずだ。
企業人は「上司が」「あの部署は」と他人事のように三人称で話しがちで、ユーザー視点を大事にするデザイン思考では、そこにいる「あなた」に共感する二人称で語ることを求められる。だが起業家はとにかく一人称で語る。「自分はこう考える」「自分はこういう世界を作りたい」という圧倒的な意思がある。
シリコンバレーでは会社や部署ではなく、自分自身が何者なのかを問われる。「あなたはどうしたいの?」「あなたはどう考えているの?」と聞かれるのは日常茶飯事だ。前職のシリコンバレーの同僚たちは、経営層だけでなく、どんな役職でも20代前半の若者たちであっても、会社を代表するように自分の意見をすらすら語っていた。
ここに至るためには、内省を深め、徹底的に自分の頭で考える必要があるため、昨今リベラルアーツやマインドフルネスが注目されている。外部に目を向けるのではなく、自分の内部に目を向けるためだ。
テクノロジーとデザインの領域で著名なジョン・マエダ氏は「デザインは問題を解決し、アートは問題を提起する」と言う。「アートはよく分からない」というのはむしろ想定通りで、アートは疑問を生み出してくれるのである。だからこそ、こういったアートに触れたりして、「自分」について内省を深めていく時間が何よりも大切だ。SNSで他人の人生をのぞいている時間を、自分の時間に取り戻すべきだ。
組織としても採用、IT、広告、販売、戦略まで外部に丸投げしすぎると、自社の人間が自分自身で考えるくせがなくなってしまう。逆説的だがオープンイノベーションを進めるためには、まず「自分とは何者なのか」をクローズに孤独に問い続けなければいけないのだ。
日経産業新聞2019年4月23日付]
 

 

忘却のかなたに。

*[次の世代に]退化するメモリー
日経産業より。
自分が三十代の営業の頃には200件くらいの客先の電話番号を覚えていたが、今はゼロだ。
個人の電話番号も自分のもの以外は覚えていない。ゼロだ。
もし急にスマホが破損したらと思うと、かなり恐ろしい。
さらにネットから遮断されてしまったら…かなり不便だ。
やっぱり幾らかの現金は持っておかねばならないなどと思う。
それはともかく。
 
さてもう実現しそうな「AIメガネ」。
自分の見ている景色の説明や、会った人の名前やデータなどを調べてくれそうだ。
(これを街中の「知らない人」にも適応させるとかなり恐ろしいことになるけれど。 facebookは仕掛けてくるだろうか)
それは便利だ。
けれど、けれどだ。
 
今で覚えている電話番号はゼロだ。
(唯一覚えていた実家の固定電話は解約された)
今度は人の名前をどこまで記憶できるだろうか。
今の電話番号のように「もうハナから覚える気などない」ということになりはしないか。
 
今でも大事な客先に行ったら、その人の名前や似顔絵や語呂合わせなどを駆使して、なんとか「顔と名前の一致」を図っているけれど。
もう家族や友達の名前くらいしか頭には残らないのではないだろうか。
そしてそうした「記憶作業」から解放された頭脳は、果たして何か役立つことを考えられるだろうか。
氾濫する情報にただただ反応するだけのような気がして仕方ない。
ネットから離れて「わざわざ考える時間」を作る必要があると思う。
 
 
「出会いの春」悩みと工夫

SmartTimes WAmazing代表取締役社長CEO 加藤史子氏

「出会いの春」悩みと工夫
2019年4月25日 19:30
私は人の名前と顔を一致させて覚えるのが苦手だ。特にビジネスパーティーや大規模カンファレンスで1度だけあいさつした方というのが難しい。過去にお目にかかったのに、2度目に会ったときも名刺を差し出してしまい「1度、お会いしましたよ」と相手に返されて申し訳なく恥ずかしい気持ちになる。
慶応大卒、1998年リクルート入社。ネットの新規事業開発を担当した後「じゃらんリサーチセンター」に異動し、観光による地域活性化事業を展開。2016年WAmazing創業。
私は名刺管理アプリを利用しているのだが、昨年1年間だけで1500枚以上の名刺交換をしていた。1年365日、休日も含めて平均4枚という計算になる。覚えられないのも無理はないと自分を慰めつつも対策を考えてみた。
1つ目は復習だ。心理学者のエビングハウスが実施した「無意味なつづりを暗記させたあとの保持率」という実験結果による「忘却曲線」は有名で、再学習による忘却防止の可能性を指摘している。20分後には42%を忘れ、1時間後で56%忘れる。それが9時間後では64%に達する。
その後は緩やかになる。1日後で67%忘れ、2日後には72%となる。6日後が75%、そして31日後で79%だ。つまり記憶してから1日の間に急激な忘却が起こるが、その後は緩やかに進むということだ。
だから「会ったその日のうちの復習」が有効になる。またこの実験は「無意味なつづり」の忘却度合いなので、意味のある内容や自分に関係のある内容なら記憶に残る率が高くなる。大量の名刺交換の後には10分の時間をつくって今後の仕事で連携できる可能性を考えながら名刺スキャンとデータ化を終えれば、記憶の定着率は上がりそうだ。
2つ目はテクノロジーによる解決だ。「こんな眼鏡なら10万円でも買いたい」という物を考えてみた。
その眼鏡をかけているとレンズ越しに見た人物が即座に顔認識される。そして氏名やインターネット上の関連情報、フェイスブック内のプロフィールが見える。さらに名刺データベースを参照して所属や部署名や過去の名刺交換履歴、共通の友人などが空中にAR表示されるというものだ。
次世代通信規格「5G」も実用化に向けて進んでいるし、顔認識技術は現在でもかなり精度が高くなっている。すでに実現は可能ではないだろうか。相手に気づかれないように視線の動きをおさえながら必死にネームタグを読み取ろうとする努力も、不要になる。
ビジネスカンファレンスやパーティーでスムーズに振る舞えるようになり、事前情報を得ることで相手との深く有意義なコミュニケーションも実現できるだろう。欲を言えば、顔認識の眼鏡をかけていると周囲に気づかれないようにコンタクトレンズ型も欲しい。
誰か開発してもらえないだろうか、と真剣に思う。とにかく、季節は「出会いの春」。悩みつつ工夫をしつつ、新たな人との縁から新たな事業機会を見いだしていきたい。
日経産業新聞2019年4月24日付]

これから囲い込み。

*[ウェブ進化論]今が序章
日経より。
アマゾンプライムの会費が値上げされた、というので価格弾力性のお話。
それはそうと「値上げと利用者の関係」のような理屈も極端な現象になっているのではないだろうか。
だってプライム会員をやめるわけにはいかないもの。
 
アメリカではすでに$119(13000円)で、それでも退会は少ないらしい。
ちょうどamexのプラチナカードくらいの値段だ。
自分もこの値段では利用を止めないだろうと思う。
 
買い物やコンテンツの利用頻度にもよるけれど、年に50冊本を買う人ならペイするだろう。
さらにネット通販に送料を払うことを考えると…
年会費三万円、を超えるくらいになってくると退会を考えた方が良さそうだ。
けれどその頃には、さらにクーポンやAlexaとかコンテンツ配信とかでがんじがらめにされているのに違いない。
年会費が100万円になっているのに、使い続ける時代が来るかもしれない。
amazon恐ろしや。
 
 
Amazonプライム年会費上げ、退会は増える?
2019年4月25日 21:30
Amazonプライム年会費上げ、退会は増える?
アマゾンジャパンが有料会員「プライム」の料金を引き上げたという記事を、ビジネススクールで学ぶフレームワークを用いて読み解きます。グロービス経営大学院の嶋田毅教授が「プライシング戦略」の観点から解説します。
【関連記事】Amazon Prime年会費1000円引き上げ、4900円に
経済学やマーケティングのプライシング戦略(価格戦略)を考える上で大切な概念に価格弾力性があります。これは以下の式で表わされる値で、この数字が大きくなるほど需要量が価格変化に敏感(弾力的)、小さくなるほど価格変化に鈍感(非弾力的)ということを示します。「需要の価格弾力性」と呼ぶ場合もあります。
価格弾力性 = -(需要の変化率 ÷ 価格の変化率)
たとえば、あるお菓子の価格をそれまでの100円から110円に値上げしたところ、需要が8割に減ったとしたら、このお菓子の100円近辺での価格弾力性は、
価格弾力性 = -{-0.2 ÷ (10÷100)} = 2.0
となります。つまりこのお菓子は100円程度の価格近辺において価格弾力的ということです。
■需要は価格変化に敏感か
価格弾力性の高いものとして経済学の教科書で挙げられるのは、宝石などの贅沢品や、他に良い代替材のあるものです。たとえば個人向けのヨーロッパ旅行の価格が倍になったとしたら、生活に必要というわけではありませんから、需要は半分以下に落ち込む可能性は高いでしょう。旅先をヨーロッパに限定しない人も多そうですから、「じゃあアジアやオセアニアに行こう」と考える人が増えることも需要減の要因となります。
それに対し、生活必需品や他に良い代替材がないものは一般に価格弾力性が低いとされます。たとえば都心部の電車の運賃が10%値上げしたからといって、それを使わずに済まそうと考える人は少ないでしょう。特に通勤や通学で使う人間はそうです。つまり、電車の需要は比較的価格弾力性が低いわけです。
では今回のAmazonプライムの値上げはどうでしょうか?年会費が3900円から4900円へと1000円、%表示にすると25.6%の値上げです。ゆえに、現在の需要量の75%をキープできれば、今回の値上げに関しては、需要は非弾力的だったと言えそうです。
記事中、「顧客が大量に離れることはないと判断したもようだ」とありますが、個人的な予想も、そうした結果になる可能性は極めて高いと思います。おそらく、9割以上のユーザーはそのままAmazonプライムを継続して使うのではないでしょうか。その理由としては以下のようなものがあります。
Amazonプライムのメインユーザーと思われるヘビーユーザー層にとって、このサービスはなくてはならないものとなっている。また、送料無料や指定された電子書籍の読み放題、プライム・ビデオ見放題などの便益などを考えれば、4900円になっても十分にお釣りが来る
・今後も値上げに見合う便益を提供してくれるだろうという期待が持てる
・過去の先進国の値上げでは会員数を大きくは減じなかった。日本はいまだに米国の半額以下であり、そこまで価格にシビアとは考えにくい
・ここまで多様なサービスがパッケージ化された良い代替材がない
実は先には述べませんでしたが、需要の価格弾力性が低い商材の条件として「顧客が十分に満足している」という要素もあります。アマゾンプライムは十分にその域に達しているというのが筆者の見立てです。
アマゾンのプライム会員は1年前に全世界で1億人を突破したと報道されました。日本での会員数は公表されていませんが、日本の売上比率などから想定して仮に600万人程度だとすると、1000円の値上げでほとんど退会者がいなければ、この値上げでアマゾンは日本で年間60億円ほどの売り上げ増になります。さらに、もしEコマースの配送数があまり変わらなかったとすれば、もともとプライム・ビデオ見放題や電子書籍読み放題はユーザー1人当たりの限界費用がゼロのビジネスですから、売り上げ増のかなりの部分が利益増につながることになります。その利益は後述するように、さらなる投資に回されると予想されます。
さて、ここまでの考察を読むと、むしろなぜアマゾンがAmazonプライムを3900円という安価に据え置いていたのかという疑問が湧く方もいるかもしれませんが、それは顧客生涯価値(LTV:Lifetime Value)の考え方で説明できます。顧客生涯価値は図2の式で表わせます(話を単純化するために、ここではファイナンス的な割引率は捨象します)。ポイントは、1人当たりのLTVの総額である事業価値を高めるためには、
・人数
・1人当たり年会費
・1人当たり購買回数
・1人当たり購買単価
・1人当たり費用
・1人当たり継続期間
・1人当たり顧客獲得コスト
といった複数の変数があることです。
■まずは成長を追う
通常、日本企業は地道にどの変数も少しずつ良くすることで単年度利益を出しつつ成長しようとします。たとえば、少しずつ顧客数を増やす、購買単価を増やす、費用を減らす、継続期間を高める、などです。もちろんこのアプローチが悪いというわけではないのですが、アマゾンは全く別の発想をします。それは、
・安い年会費は初期投資と割り切って一気にユーザーを囲い込む
・一方で、徹底的に投資をし、利便性を追求して顧客の満足度を高め(ここでビッグデータも活用します)、「顧客にとってなくてはならない状態」にしてしまう
・満足したユーザーは何かしらアマゾンのサービスを利用する。継続期間も長くなる(その結果、ますますビッグデータが集まり、パーソナライズされたサービスを提供しやすくなる)
・結局はほとんどの顧客のLTVはプラスとなり、その総和も最大化される(実際に、LTVは顧客満足度と正の相関があることが示唆されている)
という狙いからです。
アメリカの巨大IT企業は多かれ少なかれこのような発想をしますが、アマゾンはその中でも飛びぬけて先行投資をする企業です。目先の利益を追うのではなく、まずは成長を追い、将来の利益回収の土台を作るのです。
筆者がかつて個人的にアマゾンのサービスで驚いたのは、書籍を検索すると、Amazonマーケットプレイスで中古の書籍も同時に表示をするようになったときです。通常、新刊を売るリアルの書店は、新刊しか扱いません。それに対しアマゾンは、たとえば2000円の新刊を売る一方で、同時に1円の中古書も同じページに表示してきます。短期的に損をする可能性はあっても、顧客の利便性を優先させているのです。そのサービスを見たときには「アマゾンは発想が違う」と感心した記憶があります。
ちなみに、今回はBtoCのビジネスにのみフォーカスしましたが、アマゾンにはマーケットプレイスの事業者向けの金融機関という側面や、企業の広告代理店という側面もあります。アマゾンのユーザーがどんどん増え、彼らの利用頻度が増えることは、こうしたBtoBの企業顧客をも取り込み(これをツー・サイド・プラットフォームと言います)、巨大な「アマゾン生態系」を作ることにもつながるのです。
あらゆる企業にまねできるわけではありませんが、まずは顧客基盤と顧客満足の仕組みに投資し、様子を見ながらおって回収していくという発想法は、特に先行投資になれていないサービス業界の企業などにとって学ぶべき点が多いと言えそうです。
価格弾力性についてもっと知りたい方はこちらhttps://hodai.globis.co.jp/courses/6767730b(「グロービス学び放題」のサイトに遷移します)
しまだ・つよし
グロービス電子出版発行人兼編集長、出版局編集長、グロービス経営大学院教授。88年東大理学部卒業、90年同大学院理学系研究科修士課程修了。戦略系コンサルティングファーム外資系メーカーを経て95年グロービスに入社。累計160万部を超えるベストセラー「グロービスMBAシリーズ」のプロデューサーも務める。動画サービス「グロービス学び放題」を監修
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ソフトウェアのように。

*[次の世代に]趣味発、やりたいこと。
日経MJより。
(いわゆるご本家の)ソフトウェアのアップデートには感心しないものも多いが、いろんなものがアップデートされている、というお話。
会社で働く制服とか、ドレスコードとか、喫煙禁止とか、そもそもオフィスワークは必要か、とかいろんなところで変化が起きている。
 
だいたい官庁とか金融機関とかの「お堅い業種」が変化したら、アップデートは一巡、終了だ。
ソフトウェアの世界は多少の不具合を抱えたままリリースし、ユーザーの反応を見ながら仕上げる、という悪癖が常態化しているが、スピードと利便性にはかなわない。
そんな感覚を自分の「キャリア」に重ねて見るのは面白い考え方だ。
よく「キャリアチェンジ」「キャリアアップ」という言葉を使うが「キャリア・アップデート」というのはどうだろうか。
足りないところや、伸ばしたいところを少しづつ足していく。
時には大きなアップデートもあるかもしれない。
 
「仕事のスキル」からキャリアを伸ばすという発想よりは「自分の趣味嗜好」からアップデートを考えて見るのは楽しそうだ。
肩肘はらずにできることを考えよう。
 
 
#KuTooに共感 会社の風潮<自分の生活
2019年4月25日 21:30
#KuTooに共感 会社の風潮<自分の生活
「#KuToo」というハッシュタグSNS(交流サイト)で広がっている。女性が仕事でヒールの靴を履くのをマナーとする風潮に異議を唱える運動だ。セクハラを告発する運動「#MeToo」に「靴」と「苦痛」がかかっている。
スニーカー通勤は若い世代に広がりつつある
今回、仕事観についてミレニアル女性に話を聞くと、この運動に共感を唱える声が多く上がった。「ヒールは辛い。我慢して履き続けたら生産性が落ちる」(26歳)「なぜ女だけ?」(25歳)。脚を長く美しく見せてくれるヒールが大好きという女性も多いが、「マナーと強制する雰囲気」に不快感を抱く。
ただ、新世代だけあって「そんな会社なら辞める」という発言も少なくなかった。つまり「ライフスタイルに合わない会社では、働きたくない」(26歳)のだ。
こうした声を反映するように、彼女たちの間で流行っているのが「スニーカー通勤」。健康志向もミレニアルズの特徴の1つだが、歩きやすさに加えて、ファッションのトレンドの変化も理由だ。今はカジュアルなスタイルが人気を集める。
春先であればゆったりニットにオフィスパンツ、足元にはスポーツブランドの白や黒のスニーカーを合わせれば、オフィスカジュアルが完成する。インスタグラムには「#スニーカーコーデ」のタグ付きで、参考となる写真が数多くあげられ、女性誌でもたびたび特集が組まれる。スーツ必須の会社で働く女性からは、通勤用と靴を分ける話も聞いた。
男性にもスーツにリュックやスニーカーを合わせるスタイルが人気だ。
もう1つ、ミレニアルズに顕著なのが、副業への関心の高さだ。ジャパンネット銀行が2018年6月に全国の18~25歳300人に実施した調査によると、「副業をしたこと/してみたいと思ったことはあるか」との問いに70%が「ある」と答えた。理由は「収入が増える/安定する」(73%)「趣味や好きなことを仕事にしやすい」(46%)が多い。
周囲のミレニアルズからも話をよく聞く。例えば企画会社で働く女性(28歳)は飲食店のメニュー開発やレストランのプロデュースを手伝っている。「趣味を生かせて楽しいし、本業とは違う出会いもあり、モチベーションが高まる」という。
IT企業で働いていた男性(26歳)は、趣味でカメラの撮影・編集をしていた。周囲に話すとイベントの撮影などをよく頼まれるようになり、カメラの収入が本業を上回るまでになった。3年目で会社を辞めフォトグラファーになったという。
趣味の副業で実績を積み、ゆくゆくはフリーへ。こうした働き方に憧れを抱くミレニアルズは多い。1つの会社に一生勤め上げるという意識は薄く、自分の興味に合わせて常に仕事をアップデートしていく感覚が強い。
ここから見えてくるのも、ファッションと同じく「自分のライフスタイルに合った働き方をしたい」という価値観だ。ちなみにブラック企業が何かを尋ねたら、ある女性は「今は働き方改革でどの会社も働きやすくなっているから……」と前置きした上で、「ライフスタイルに合わない会社が、その人にとってのブラック企業」との答えが返ってきた。
(ブームプランニング社長 中村泰子)
[日経MJ2019年4月19日付]
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頭の好物。

*[次の世代に]理解してから、味わう。
食べ物をおいしいと感じるのは、舌か? それとも頭か?
うーむ。
6対4、くらいで頭ではないだろうか。
満腹感も頭で感じるというし。
そんなことを強く感じるのはワインだ。
自分のレベルだと、生産者を知っているわけではなので、「本当の良さ」が分かっているわけではない。
けれどヨーロッパ産か南半球か、アメリカかそれとも国産か。
ぶどうの種類と年代のこととか。
作り手の哲学などをソムリエさんから聞くと、そんな風な味と気分になってくる。
 
「なぜこのミカンは甘いのか。土壌のおかげなのか、日照のせいなのか」。
栽培方法を味の根拠として示すことで、伝わり方も変わる。
福井氏によると「この木だけ、なぜか昔から甘くなる」という言い方もオーケー。
魅力の訴え方に固定的なルールはないのだ。
 
人は物語を求めるという。
そんな物語を知らずに飲んだシャトーマルゴーはただの「すっぱ苦いぶどう酒」だった。
ビジネスの対話もそんなところがあると思う。
相手にストーリーのあるビジネスは応援したいと思うものだ。
 
では異性とのつきあいではどうか?
これは物語では解決しない、と思うのは自分だけだろうか。
未だ未解決のテーマです。
 
野菜のおいしさ、感じるのは舌か頭か
2019年4月25日 21:00
野菜のおいしさ、感じるのは舌か頭か
食べ物をおいしいと感じるのは、舌か? それとも頭か?
ふつうなら「舌」と答えそうなところだが、必ずしもそうではない……というのが今回のテーマだ。日本野菜ソムリエ協会が有力農業法人と組み、舌と頭の両方に訴えかける青果物の新しいブランドを立ち上げる。
野菜や果物の価値を味とセールスポイントの両方で評価するブランドづくりが始まる
「野菜ソムリエ」は、野菜や果物について幅広い知識を持ち、旬やおいしさを見極める力を持つ人たちのこと。同協会が実施する講座と試験を受け、お墨付きを得る民間資格だ。すでに5万人以上のソムリエが誕生し、料理教室やレシピの開発、食育活動などで活躍している。
「舌と頭」のうち、舌を野菜ソムリエが担当する。実は、青果物をソムリエがチェックし、ブランド化する仕組みはすでにある。まずは、その場面から紹介しよう。
4月10日、東京・築地にある日本野菜ソムリエ協会の一室。集まったソムリエたちは、最初にコップに入れた水を口に含み、甘味、酸味、塩味、無味のどれに当たるかを判定した。一つでも外せば、その人の野菜の評価はこの日は採用しない。味覚に優れたソムリエでも、体調などによって感覚が鈍る可能性があるからだ。
続いて、ソムリエによる野菜の味のチェックが始まる。実際に食べて行う。まず、皿に盛ったトマトをソムリエたちが顔に近づけ、香りの良しあしを感じ取る。次に、少しずつ食べて、味や食感を確かめる。「しっかりとした食感とみずみずしさが特徴」などのコメントも評価シートに書きこむ。判定は総合評価で、最高が10点。点数があらかじめ決められた水準を超えると、その野菜は金賞や銀賞といった評価を得る。
この品評会に加え、同協会が新たなブランドづくりの場として5月に立ち上げるのが「日本青果物ブランド推進協議会」だ。九条ネギを生産すること京都(京都市)の山田敏之社長が会長に就くなど有力な農業法人のトップが参加する。味以外の要素をブランドの基準として判定するには、実際に農産物を売って成長してきた経営者のノウハウが役に立つと考えたからだ。協議会の専務理事には、日本野菜ソムリエ協会の福井栄治理事長が就く。
こと京都のブランド「こと九条ねぎ」。商品の魅力を言葉で伝える努力を続けてきた。
では味以外の要素とは何か。協議会がチェックするのは、生産者が訴える野菜や果物のセールスポイントだ。例えば、こと京都は自社製品の「こと九条ねぎ」について、「京都府内で生産されたもの」「安全・安心な栽培方法」「九条ネギの原種に近い品種」の3つで説明してきた。ソムリエによる味の審査に加え、こうしたセールスポイントが適切かどうかを判定し、認証する。
「おいしさは重要なポイントだが、それが価値のすべてではない」。福井氏は、協議会をつくる狙いについてそう語る。京野菜はなぜほかの地域の野菜より高く売れるのか。誰がどこでどうやって作ったかも農産物の付加価値になるからだ。「消費者は味だけでなく、文化や伝統にもお金を払う」のだ。
「味だけが野菜や果物の価値ではない」と話す日本野菜ソムリエ協会の福井栄治理事長(東京・築地の日本野菜ソムリエ協会)
ここで「農家の口べた」が課題になる。農家の多くは土作りを強調する。土作りはもちろん大事だが、それだけでは農産物の魅力は伝わりにくい。「なぜこのミカンは甘いのか。土壌のおかげなのか、日照のせいなのか」。栽培方法を味の根拠として示すことで、伝わり方も変わる。福井氏によると「この木だけ、なぜか昔から甘くなる」という言い方もオーケー。魅力の訴え方に固定的なルールはないのだ。
食品の魅力を引き出すために、言葉を意識的に使っているケースは、個別にはある。前回この連載で紹介した十勝産小麦100%のパン店を経営する杉山雅則氏は「ここのパンは小麦の味がするといわれることが多い」と話す(「十勝小麦100%パン東京へ」)。店内ではポスターなど様々な形で十勝に関する情報を強調している。それを思い出しながら食べることで、顧客が「小麦の味がする」と感じるといった効果が出る。
日本青果物ブランド推進協議会の誕生は、こうした取り組みを様々な野菜や果物に広げ、消費者が頭と舌の両方で食事を楽しむブランドづくりへの挑戦と言える。すでに生産者からのエントリーを受け付け始めており、早ければ6月に認証がスタートする。認証を受けた農産物は、特定のシールを貼って都内の百貨店などで販売される予定だ。
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前にもありました、こんなこと。

*[次の世代に]平成の蹉跌、ジャンク債投資。
日経より。
自分の薄い記憶をたどれば、確かこうした「ジャンク債投資」公的機関やデカい金融機関がやりだしたら、相当危ない。
社債の価格が下がり、トヨタは0に近いという。
さらに格付けBBBへの投資を日銀が緩和しつつあるとか。
日銀とかGPIFとかが動いたら最期、とよく言う。(実は日○生命、とも言われている)
 
アルゼンチンなどは急速に資金が抜けているともいうし。
今月は日米の通商交渉も始まり、日本はボロ負けの予想だ。
不穏な空気が漂っている。
自分の知っていたバブルは最後、銀行が持ってきた土地転売(の融資)の兆候が最後だった。
金利が上がらないから、実にいろんなところに資金が回っているが、今年から危機が始まっているのではないだろうか。
「令和日本の社債市場は新たな時代を迎えることになる。」
とのことだが自分は底ぬけが心配だ。
 
低格付け債に熱視線 運用難、利回り求め急浮上
2019年4月26日 13:04
低格付け債に熱視線 運用難、利回り求め急浮上
国内で初めて無担保普通社債が発行されてから34年。社債市場の歩みはほぼ平成の世と重なる。改元目前のいま、にわかに市場の関心を集めるのが格付けの低い社債だ。長引く金融緩和で運用難に直面する投資家は、多少の信用リスクを負ってでも利回りを追求する。日銀の政策対応も投資家を後押しする。
社債金利水準の低さにがくぜんとする」。富国生命保険の小野寺勇介財務企画部長はこうこぼす。今週の流通市場では三井不動産の残存7年物の社債が0.28%で取引された。原発のテロ対策工事で揺れる関西電力の残存4年物の利回りは0.19%だ。5年前は同程度の年限で、三井不債が0.5%、関西電債は0.6%程度だった。
発行市場でもトヨタファイナンスなど高格付け債の発行金利はゼロに迫る。2013年に日銀が始めた異次元緩和、16年のマイナス金利政策を受けて社債金利は低下の一途をたどる。債券投資家は少しでも高い利回りを求めて低格付けの債券に目線を向け始めた。
「投資適格」で最も格付けの低いトリプルB格の社債売買が盛り上がるか――。日銀が25日に「適格担保」の条件緩和を発表すると、債券市場の関係者は沸いた。
適格担保は、日銀が金融機関を対象に資金供給オペ(公開市場操作)する際に受け入れる担保のこと。従来、社債を担保に使うには「シングルA格以上」が条件だったが、「トリプルB格以上」に緩める。
これに呼応し、「オペに参加する地域金融機関がトリプルB格の社債に投資できるよう内部基準を緩和する可能性がある」(大和証券の大橋俊安チーフクレジットアナリスト)。投資家層の厚みが出れば市場は活性化する。トリプルB格には東芝川崎汽船トクヤマなど財務立て直しの途上にある企業が多い。
「投機的等級」であるダブルB格の公募社債も初めて登場する。消費者金融大手のアイフルは5月下旬にも、1.5年債を発行する予定だ。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が昨年、ダブルB格にも投資できる体制を整え、運用会社も対応しようとするなかで、待ち望まれていた1号案件だ。
ニッセイ基礎研究所の徳島勝幸・年金研究部長は「日本版ハイイールド債(高利回り債)市場に向けた一歩」とみる。証券会社はアイフルに続く低格付け債の発行に向けて水面下で動き始めた。米国ではハイイールド債の利回り低下も警戒されるが、日本はようやく市場が立ち上がる段階だ。
2000年代半ばをピークに社債の売買代金は細る一方だった。金融規制の強化やマイナス金利の影響で社債市場のダイナミズムは低下してきた。低格付けの社債の投資は信用リスクの高さに見合った分析や管理体制が求められる。そうした社債の発行や売買が活発になれば市場の厚みが増す。令和日本の社債市場は新たな時代を迎えることになる。(竹内弘文)

勝者の心構え。

*[次の世代に]今欠けているもの。
春秋より。
大規模なテロを目の当たりにするたびに、その被害の酷さにばかり目がいってしまう。
記事で指摘されているように「恨みは恨みを生み続ける」と言ったのは坂本龍馬だったか。
出典は最古の仏典からだそうで、いかに人の本質は変わっていないのかと嘆息する。
 
まあけれど「問題」が分かってしまえば解決の道はあると信じたい。
「恨みを捨てる」という正解にいかに近づくか"がこらからの課題なのに違いない。

三国志などを見てみると、群雄割拠の中で「勝者は相手の責任者のみを裁いて、国の民には平安を」という原則が貫かれている。

今の時代には、勝者が「勝った際の品格」がなくなっているようだ。
「勝ち慣れ」していない、経験不足が今のような「自国至上主義」を生んでいるのだとしたら、日本はそうならないようにしたいと思う。
 
春秋
「怨(うら)みに報いるに怨みを以(もっ)てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む」。最古の仏典のひとつとされる「ダンマパダ」の一節である(中村元訳)。日本で広く知られるようになったきっかけは、1951年のサンフランシスコ講和会議だろう。
▼セイロン(現スリランカ)代表だったジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナが、勝者にも敗者にも求められる心構えとして引用し、対日賠償請求の放棄を表明したのである。後にジャヤワルダナはスリランカの首相や大統領をつとめた。経済の自由化や大統領が実権を持つ政治体制への移行など、残した足跡は大きい。
▼一方、血で血を洗う内戦が始まったのも、その大統領任期中であった。流血は26年に及び、ようやく終結したのは2009年。10年を経て平和の定着を多くの人が実感しつつあったところに、先の連続テロである。「ダンマパダ」の理想を実現するのがいかに難しいか、この国の苦難の歩みが浮き彫りにしてきた感もある。
▼平成の30年あまりは、近代になって初めて日本が戦争に加わることのなかった時代だった。背景に過去の日本への反省があったのはいうまでもない。と同時に、ジャヤワルダナがサンフランシスコで示したような、勝者の側の寛容もあった。きょうは平成最後の「昭和の日」。改めて歴史を振りかえり、理想を確認したい。

価値観を変える契機

*[次の世代に]次の世代は。
元号が令和になったけれど、いろんな問題は引続く。
「新しい時代になったこと」を契機に既存の固定観念を覆す機会になれば何よりだと思う。
日本でいう「平成の時代」は失われた30年、とも揶揄されるけれど、案外「価値観の変化を見る時代」だったのかもしれないと思う。
EUのリーダーも「我々は資本主義を信じているが、本当に全ての人のために機能する資本主義を育まなければならない」と言っている。
次の時代はまさに「資本主義そのもの」を考えることになりそうだ。
戦後70年を超えて、ようやく「成長至上主義」に新しい価値観が生まれようとしているのだと思う。
人類は結局、ここ3,000年くらいをかけて離合集散し、ついにここまで来たのだ、と思いたい。
新しい社会の運営を、混沌を乗り越えてこれから作っていくのが「人の叡智」なのだと素直に思う。
 
そんな中、古い価値観で「既得権益」にしがみつくことほど惨めなものはない。
新しい時代にどれだけ適合できるのか。
元号の到来はそんな風に考えてみてはどうだろうか。
 
 
ボルボ会長、「欧州企業は中国より域内で雇用増やす」
2019年4月28日 20:50
中国への投資の魅力が薄れ、米国が保護主義への傾斜を強めるなか、欧州を代表する企業経営者の一人が、欧州の大企業は域内の雇用とイノベーションへの投資を増やすと語った。
2018年11月、上海でのイベントで展示されたボルボの重機=ロイター
スウェーデンの商用車大手ボルボ・カーの会長で欧州産業家円卓会議(ERT)の会長も務めるカールヘンリック・スバンベリ氏は、米国や中国のモデルに対する欧州型「ステークホルダー(利害関係者)資本主義」の利点を強調し、税金や手続き上の負担は重くても持続可能性が高いと指摘した。
「東(中国)や西(米国)よりも、ここ(欧州)のほうがうまくいくと本当に思っている。米国は成長をより強く推進できなかったということではない。彼らには彼らのやり方があり、実際に成長を強く推進した。しかし格差の拡大が続けば、やがて米国は痛い目に遭うことになると思う」とフィナンシャル・タイムズ(FT)紙のインタビューで語った。
発言の背景には、株主価値を何よりも優先する資本主義モデルの持続可能性をめぐる議論の高まりがある。
スバンベリ氏は、欧州連合EU)はポピュリズム大衆迎合主義)による反動に苦しめられており、5月の「極めて重要な」欧州議会選挙でもそれが浮き彫りになるだろうとしながらも、これからの時代は社会的一体性の強いビジネスのやり方がEUのためになると語った。
 
ERTは欧州最強の経済界ロビー団体で、製造業からハイテクまで幅広い業種の代表的な多国籍企業最高経営責任者(CEO)と会長55人が参加している。参加企業の売上高は合計2兆2500億ユーロ(約282兆5000億円)超だ。
英石油大手BPの会長とスウェーデンの通信機器大手エリクソンのCEOを歴任したスバンベリ氏は、ERTの参加企業は国内市場への投資を増やすと表明した。「企業としてはグローバルな存在であっても、本国がうまくいかなければ企業もうまくいかない」からだという。
同氏はこう説明する。「我々は、欧州での雇用とイノベーションに、これまでの長い間より投資を増やす。中国が急速に技能と生産性を高めた25年の間、彼らは賃金を低く抑えたので、活動を移すことの利点が過度に大きくなっていた」
欧州の大企業は域内での研究開発投資が足りないと批判されてきた。過去10年間のEUの成長が低かった原因の一つとされる。

短い供給網を重視

スバンベリ氏は、ソフトウエアとハードウエアを一体化させる製品が増えるなかで、企業は小回りがきく短い供給網を重視するようになっているとも話した。
欧州議会選に加えEU上級ポストも交代する2019年、ERTはEUへの政策提言をまとめている。中国と米国のデジタル技術や人工知能(AI)に対抗するための産業政策のテコ入れや、世界的な規模を持つ大企業が成長できるようにする競争政策の見直しなどが含まれる。
スバンベリ氏は、もはや欧州は競争上の中国の脅威に「甘さ」をみせるわけにはいかないが、中国の台頭を(誰かが勝てば誰かが負ける)ゼロサムゲームの一部分としてとらえる米国と同調するのでもないと語った。
「中国の成長と存在は欧州全体にとってマイナスではない」
By Ben Hall & Lionel Barber
 

 

問題は人間に。

*[ウェブ進化論]人の限界を知ること
AIと採用についての記事。
 採用活動ほど効率を計りにくいものはない、と思う。
企業の規模に関わらず、採用の担当者は大変な役割だ。
吟味したとて、結果が伴うとは限らない。
「採用後の環境」は個別に違うからだ。
いっそ採用時の「点」ではなく「線」として採用後の評価もずっとAIで追いかけてはどうだろうか。
恐らく、最も頼れるアドバイザーになるような気がする。
人が外部の環境によってどんな反応をするかは千差万別だ。
むしろ細かく「性格」や「能力」や「意向」がその後10年、20年、30年後にどう変化したかを長期的に追いかけるべきだと思う。
社会で働く人たち全部の「そうしたデータ」が集まれば、「適材適所とはなにか?」「人事の役割とは何か?」という課題に一定の正解が見えてくるのではないだろうか。
AIの役割がどうこうという前に、自分たちがいかに限定的な範囲でしか「人」を見られていないかを反省するべきだと思う。
これからもこうした「AI適用分野」はどんどん増えるのに違いない。
 
AIによる採用活動、その限界は? 弁護士が解説
2019年4月26日 19:30
最近では、人工知能(AI)を活用した企業の採用活動も注目を浴びている。しかし、AIによる採用は何らかの問題を生じないのか。弁護士の二木康晴氏に、AIによる採用活動の限界について聞いた。
――AIによる採用活動は広がっているのか?
二木弁護士(以下、二木) 2017年5月に、ソフトバンクエントリーシートの判定にAIを導入するというリリースを出して、大きな注目を集めた。
これまで書類選考では、企業側は膨大な量のエントリーシートを見る必要があった。その審査には相当の時間と人手を要しており、効率的な審査方法が求められていた。また、最近では、学生の売り手市場が続いているため、なるべく優秀な学生の取りこぼしをなくしたいというニーズもあり、今後もAIの利用が拡大していくことが予想される。
――AIを採用活動に使うことに問題はないのか?
二木 企業には、契約自由の原則に基づき、採用の自由が認められている。そこには、どのような方法、基準で人を採用するかの自由も含まれているため、採用活動にAIを用いることも企業の裁量の範囲内とされるであろう。
ただし、AIを採用活動に用いる場合には、現在のバイアスを固定化することがないように留意するべきである。採用活動にAIを用いることは、過去の膨大なデータを読み込ませることで最適な人材を学習するものであるため、もともとのデータが差別的な背景に基づくものであると、社会的差別を固定化する危険性もはらんでいる。
例えば、ある大学の出身者が特別に出世をするような学閥主義の企業において、大量の社員データをAIに学習させると、その大学の出身者ばかりが高い評価を受けるようになる可能性がある。また、男性しかいない職場において、AIで新しく女性を採用しようとしても、過去のデータの蓄積がなく、うまく機能しないかもしれない。
学習によって特定の大学出身者が有利になるかもしれない
厚生労働省は、「公正な採用選考の基本」を公表し、応募者の適性・能力とは関係ない事柄で採否を決定しないよう注意しており、AIを用いる場合もこのような視点に注意する必要があるだろう。
――最近では、学生がSNSをはじめとして、多様な媒体に個人情報を発信するようになっているが、AIがこのような情報を収集して採用に活用することに問題はないか?
二木 採用活動の場面で、SNS等の情報を活用して学生を調査する場合には、法令や通達、プライバシーとの関係で問題となることもあるので注意しなければならない。
――具体的にはどのような場合に問題となるのか
二木 職業安定法第5条の4は、「労働者の個人情報(-略-)を収集し、保管し、又は使用するに当たっては、その業務の目的の達成に必要な範囲内で求職者等の個人情報を収集し、並びに当該収集の目的の範囲内でこれを保管し、及び使用しなければならない。」としている。
また、これを受けて、平成11年労働省告示第141号は、(1)人種、民族、社会的身分、門地、本籍、出生地その他社会的差別の原因となるおそれのある事項、(2)思想及び信条、(3)労働組合への加入状況については、特別な事情がある場合を除き、収集してはならないとしている。
AIは採用活動を効率化させることが期待される一方で、その判断の過程がブラックボックスに陥りやすいという特徴もある。AIを活用して採用活動をする企業には、どのような情報・事実を重視してその判断をしているのかを、把握することが求められるようになってくるかもしれない。
(Legal Technology代表取締役CEO 弁護士 二木康晴)
[日経クロストレンド 2018年7月24日の記事を再構成]
 

 

知らない街を歩いてみたい。

♬知〜らないま〜ちを 歩いてみーた〜い♩
*[次の世代に]気持ちの中の風景。
どこか現代の人の心理を突いているのか。
1962年というから、実に58年も前の作詞のことだ。
その当時の「旅」とは時間の感覚もずい分と違うはずだが、未だに「旅」への憧れは変わらないらしい。
人はいつもそれほど「気ぜわしい」のだろうか。
 
芭蕉の時代に遡っても同様の感覚が記されているのだとすれば、人のどうしようもない性を歌っているのかもしれない。
人はいつも「知らない何か」と向き合ってみたいのかもしれない。
冒険心とか、それこそが「癒し」なのだろうか。
 
そんな風に思えば、あえてどこかに行かずとも「心新たに」できそうな気もする。
元号が変わるのも、自分の気持ちの切り替えなのではないだろうか。
 
春秋
2019年4月26日 17:00
仕事に疲れると、口ずさみたくなる歌がある。 知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい――。永六輔作詞、中村八大作曲で1962年に世に出た「遠くへ行きたい」だ。長く続くテレビ番組のテーマソングに使われ、世代を超えて愛され、なお命脈を保つ。
▼旅に出ること、未知の土地を巡ること。それは気ぜわしい日常を転換し、心をリフレッシュする特効薬だ。この曲が長く歌い継がれてきたのも、旅への憧憬をたしかな言葉でつづっているからだろう。「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」。芭蕉の願望は現代人の胸の奥にも脈打っている。
▼10連休が始まった。旅先や車中で小欄を読んでいる人も多いはずだが、さっそく片手に缶ビール、記事を目で追うのも普段よりゆっくりだろうか。あれもこれもと欲張らず、車窓の新緑に見とれるだけでもいい。「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。こう書いた内田百●(もんがまえに月)は旅の達人だ。
▼「遠くへ行きたい」の歌詞は、 知らない海をながめていたい――と続く。「ながめてみたい」ではなく、時間の経過を忘れて、見知らぬ海と向き合っているイメージなのだろう。昨今の旅の情報といえばグルメも温泉も、もっぱら「○○してみたい」。けれど、せっかくの大連休である。ここは断然「楽しんでいたい」。
 

 

飢えのないない世界に。

*[次の世代に]史上初。
世界の食肉需要は圧倒的なスピードで拡大している。22年に約1兆5600億ドルと18年と比べて約7割増える見通し。家畜を育てるための飼料不足が懸念されており、食糧危機も叫ばれている。
そんな中「大豆ミート」が進んでいるという。
つまり「肉」が人造できる時代が近づいているらしい。
一番高価な「肉」が人造できれば、世界の食糧事情は大きく変わるだろう。

油を抜いた脱脂大豆を粉状にし、専用機械で熱と圧力を加える。120~190度で、ポップコーンのように水蒸気爆発させて、繊維状の組織をかたちづくる。それを水で戻し、通常の肉のように調理する仕組みだ。

どちらもタンパク質。
こんな風に食材をコントロールできるようになれば、人類初の「飢餓のない世界」が実現できる日は近いのではないだろうか。
それだけでどれほどの問題が解決できるだろうか。
 
さらに糖質(炭水化物)をコントロールできれば、人の食生活は劇的に改善できると思う。
次には「糖質ゼロのお米」を是非に待ち望んでいます。
いやほんとに。
 
 
若者がはまる0%ビーフ 「植物肉」が味な進化
2019年4月21日 21:30
肉の代替となる植物由来の「大豆ミート」が脚光を浴びている。米国のスタートアップ企業、日本の老舗企業などが本物の肉に近い味や食感を実現した。テクノロジーの進化が「第3の波」と呼ばれるブームを起こしている。健康食ではなく、若者を中心に一般の食事として味わっている。食肉産業全体と比べると市場はまだ小粒だが、世界の食ビジネスを変貌させる可能性を秘める。

ジョークではなかった……

エープリルフールのジョークではなかった……。米中部ミズーリ州セントルイスにあるバーガーキングの店舗を訪れると、「0%ビーフ」の看板が掲げられていた。4月1日から全国59店で、肉をいっさい使わないハンバーガー「インポッシブル・ワッパー」の試験販売が始まった。
バーガーキングは「0%ビーフ」をうたうハンバーガーを4月から発売
価格は5.59ドル(約630円)と看板商品のワッパーより1ドル高い。ダリス・ウィリアムズさん(24)は「植物肉を食べるのは初めてだけど、本物の肉みたいな見た目や食感で十分おいしいね」とほお張っていた。パンに挟まれた「パティ」から、しっかり汁がしたたる。
パティを供給するのは、2011年に設立した米カリフォルニア州のスタートアップ企業、インポッシブル・フーズ。主な材料は大豆やジャガイモのタンパク質、ココナツ油。分子レベルで研究した酵母からつくる「ヘム」と呼ぶ材料が、血のような味を再現している。素材段階では肉にほど遠いが、材料を混ぜるとひき肉のようになっていく。植物由来なので、生食で食べられ「ユッケ」のような味がする。

今は第3の波

インポッシブルは米国を中心にすでに5000軒を超えるレストランに食材を供給する。19年後半には、家庭向けにスーパーマーケットでも販売を始める計画だ。競合するビヨンド・ミートは年内の新規株式公開(IPO)を準備していると噂される。ネスレが参入するなど食品大手も触手を伸ばしている。
植物肉について、「今は第3の波が押し寄せている」。米ベンチャーキャピタル、ニュークロップキャピタルのダン・マレック氏は指摘する。
第1の波は70年代初め。ビーガン(完全菜食主義)向けの食品として登場し、味は二の次だった。第2の波が80年代半ばで、「味が少しましになった」(マレック氏)ものの、購入層は限定的。
第3の波は、テクノロジーの進化が引き起こしている。インポッシブルの創業者のパット・ブラウン最高経営責任者(CEO)は米スタンフォード大学の生物化学の教授。同社ではバイオ系研究者が100人規模で働く。材料を分子レベルまで分析し、「肉らしい」味や食感を追求している。
インポッシブルの調査によると、同社製品を食べた人の97%はビーガンではないという。豚や鶏を含めて世界で9千億ドルの食肉市場にとってかわる可能性があるとすれば、投資家も集まる。インポッシブルもこれまで約5億ドルを調達して、生産能力の増強に動く。

疑似肉、謎肉、ゼロミート

大豆などで肉を模した食品の歴史が長い日本でも、新たなブームが起きつつある。
「擬似肉」「謎肉」「ゼロミート」と呼び、新鮮味を感じた若者がインターネット上で話題にしている。米国の火付け役もミレニアル世代で、インスタグラムで「♯impossibleburger」のハッシュタグをつけて拡散させ、大豆ミート熱をシェアした。
日本でシェア5割を握るのが油脂大手の不二製油だ。千葉県で新工場を20年に稼働する。現在の生産拠点、阪南工場(大阪府泉佐野市)はフル稼動が続く。生産能力を倍増し、年間約2万トンとする計画だ。
油を抜いた脱脂大豆を粉状にし、専用機械で熱と圧力を加える。120~190度で、ポップコーンのように水蒸気爆発させて、繊維状の組織をかたちづくる。それを水で戻し、通常の肉のように調理する仕組みだ。
約50年前から開発をスタートした。「最初はスポンジのような食感になってしまい、こんなまずいものは食べられない」(開発担当者の坂田哲夫氏)と突き返された。
今はインポッシブルと同様に分子レベルで研究し、原料の配合や温度設定、大豆の大きさなどを調整している。詳しい製法は企業秘密だ。鶏肉、豚肉によって食感を変え、着色料を使ってビーフジャーキーは茶色、豚のひき肉はピンクといったように種類も増やした。

異業種からの参入も

異業種からの参入企業も現れた。排ガスに含まれる有害物質を低減する「粒子状物質低減装置(DPF)」を手がけるイビデンだ。約4億円を投じて専用設備を導入し、18年までに大豆ミートの成型加工ラインを立ち上げた。カップ麺などに使われる材料を、年間500トン製造する計画だ。
複数の素材を混ぜてDPFのフィルターをつくる技術が、原料を練り上げるプロセスと共通していることに着目した。子会社のイビデン物産(岐阜県本巣市)の匂坂克巳社長は「菜食主義者にとどまらず、ハラル食品としても需要がある」と期待を込める。
ジオンマーケットリサーチによれば、世界で18年に119億ドルだった植物肉の市場規模は、25年に212億ドルまで広がる見通しだ。ただ、肉の代替をめざそうとするイノベーションの潮流は、既存産業と衝突する。

食糧難を救う存在に

3月に開かれたスタートアップの祭典「サウス・バイ・サウスウエスト」での代替タンパク質をめぐる討論会。養豚農家の女性が「畜産業界も環境に気をつかっている。米国の地方経済が苦しい結末を迎えていいのか」と詰め寄る一幕があった。全米牛肉生産者協会(NCBA)は植物肉を「フェイクミート」と呼び反発する。
世界の食肉需要は圧倒的なスピードで拡大している。22年に約1兆5600億ドルと18年と比べて約7割増える見通し。家畜を育てるための飼料不足が懸念されており、食糧危機も叫ばれている。
そうなれば、植物肉も一過性のブームではなく、食糧難を救う存在になる。昆虫、藻、細胞組織を培養した人造肉……。肉を代替する素材を探り出す研究が世界的に進む。急速に進化する「フードテック」は、我々の食文化、経済や産業に大きな影響を与えようとしている。
シリコンバレー=佐藤浩実、大阪経済部 渡辺夏奈、岐阜支局長 小山雄嗣)
日経産業新聞 2019年4月19日付]

いい年してガキな高齢者。

 

人口減少社会の未来学

人口減少社会の未来学

 
*[次の世代に]こうなった理由。
内田樹さんのインタビュー記事より。
日本の高齢化社会の見通しについて。
高齢者にとって最も大切な生活能力は、他人と共生する能力です。
理解も共感もできない他人とも何とか折り合いをつけることのできる力です。
不愉快な隣人たちと限られた資源を分かち合い、共生できる力です。
でも、そういう能力を開発する教育プログラムは日本の学校にはありません。
ひたすら子どもたちを競争的な環境に放り込んで、相対的な優劣を競わせてきた。
その同学齢集団のラットレースで競争相手を蹴落とすことで出世するシステムの中で生きてきた人間に高い生活能力を期待することは難しいです。
さらに「経済活動」について。
自分はこの部分が重い話だと思う。
内田さんの指摘のように「経済で人が成熟する」という感覚は今のビジネス界ではとても希薄だ。
でも、プレイヤーに市民的成熟を要求しない経済活動というのは、人類学的には経済活動ではないんです。
無意味だから。
そんなのはただの時間潰しのゲームに過ぎない。
そんなゲームは人類が生き延びてゆく上では何の意味もない。
なんとなく「金儲け」が目的そのものになってしまった。
その話が続く。
「失われた20年」と言いますけれど、日本が中国に抜かれて43年間維持してきた世界第2位の経済大国のポジションを失ったのは2010年のことです。
バブル崩壊から20年近く、日本はそれでも世界第2位の金持ち国家だったんです。
でも、その儲けた金をどのような国家的目標のために使うべきなのかが分からなくなってしまった。
「腑抜け」のようになったビジネスマンの間から、「自分さえよければそれでいい。国のことなんか知るかよ」というタイプの「グローバリスト」が登場してきて、それがビジネスマンのデフォルトになって一層国力は衰微していった。それが今に至る流れだと思います。
腑抜けのようになったビジネスマン。
そこから「利益至上主義」のマシンのような人間が、確かに出現している。
内田さんの指摘は、鋭く続く。
金儲けの目標が自己利益と自己威信の増大だけでは、人間たいした知恵も湧きません。
何のために経済活動をするのか、その目標を見失ったので、何をやってもうまくゆかず、どんどん落ち目になっている。悲しい話ですよ。
さて経済の目的も、改めて考えたいところだし、さらにこれからについて。
これから日本が闘うのは長期後退戦です。それをどう機嫌よく闘うのか、そこが勘所だと思います。やりようによっては後退戦だって楽しく闘えるんです。高い士気を保ち、世界史的使命を背中に負いながら堂々と後退戦を闘いましょうというのが僕からの提案です。

 後退戦を楽しく。

こういうのが日本ぽいのではないだろうか。

 
 
 

内田樹が語る高齢者問題――「いい年してガキ」なぜ日本の老人は幼稚なのか?

「人口減少社会」を内田樹と考える#1

 2024年には国民の3人に1人が65歳以上になり、先進国でかつてない人口減少社会を迎えるニッポン。問題は「人口減少そのものより高齢者の割合が激増すること」、「日本の高齢者は成熟していない=子どもっぽいこと」にあると、思想家の内田樹さんは指摘する。編著者として、『人口減少社会の未来学』を刊行した内田さんに訊く、「人口減少社会」を考えるインタビュー第1弾。

時限爆弾みたいな高齢者ビジネス

――人口減少にともなう社会の大きな変化は、まず何から始まるのでしょうか。
 
 人口減少より先に実感されるのは、むしろ社会の高齢化の方だと思います。僕が小学生だった頃、日本の人口は9000万人そこそこでした。日本の人口がその水準まで減るのは2050年頃ですから、まだだいぶ先です。でも、数は同じでも、僕が小学生の頃とは街の風景がまったく違うはずです。高齢者が3割を超える一方で、子どもの数は僕が子どもの頃の4分の1くらいまで減るからです。街に子どもの姿が見えず、老人ばかりになる。社会は活気がなくなると思いますけれど、それは人口減そのものの影響というよりは人口構成の不均衡がもたらすものです。
 前に、あるカルチャーセンターに出講した時に、そこの人から「うちは遠くから通われる熱心なご高齢の方が多く、100歳を越えた方もいらっしゃいますよ」と言われたことがあります。「悪いけどそれ、ビジネスとしては先がないということですよ」と申し上げました。高齢者が総人口のボリュームゾーンになると、しばらくは高齢者をターゲットにしたビジネスが繁昌しますけれど、これは時限爆弾みたいなものです。タイムリミットがある。今の男性週刊誌は高齢者対象の媒体になっていて、「70歳からのセックス」を特集し、60年代のアイドルのヌードなんかで売ってますけれど、ある時点で読者層そのものが消失してしまう。
ページ: 2

団塊世代が介護の現場に与えるインパクトとは

――2024年には「団塊の世代」がすべて75歳以上になります。
 1950年生まれの僕もその一番端っこにいるからよく分かりますけれど、団塊の世代はとにかく数が多い上に、同質性が高くて、かつ態度がでかいんですよね(笑)。生まれてからずっと日本社会において最大の年齢集団だったわけですから当然ですけど。子どもの頃からつねにマーケットの方が僕たちのニーズを追いかけてくれた。僕らの世代に受けたらビッグビジネスになるんですから。だから、どうしてもわがままになる。自分たちのやりたいことをやっていると、世間がついてきてくれる。他の世代との協調性がなくて、自分勝手な集団がそのまま後期高齢者になるわけですからね、介護・医療の現場の方々に多大なご苦労ご迷惑をかけることになるのではないかと心配です。介護・看護の現場はとにかく仕事がハードなうえ低賃金ですから、離職率が高い。介護職員は2025年に必要数に対して約40万人不足すると予測されています。今からよほどきちんと制度を設計し直さないと、介護の現場は立ち行かなくなると思います。
 制度の手直しだけでは間に合いません。一人一人が高齢者になっても自立的な生活ができるような自己訓練が必要だと思います。若い時から、自分で料理を作ったり、家事をしたり、育児をしてきた人は、自分が高齢者になっても、なんとか自立的な生活ができますし、介護されるような場合でも、介護者の気持がある程度わかると思います。だから、介護者とのコミュニケーションが取れるし、他の高齢者たちとの共生もできる。でも、若い時からずっと仕事漬けで、家事も育児も介護もしたことがないという男性の場合は高齢者になった時に、ほんとうに手に負えなくなると思います。生活能力が低すぎて。
 高齢者にとって最も大切な生活能力は、他人と共生する能力です。理解も共感もできない他人とも何とか折り合いをつけることのできる力です。不愉快な隣人たちと限られた資源を分かち合い、共生できる力です。でも、そういう能力を開発する教育プログラムは日本の学校にはありません。ひたすら子どもたちを競争的な環境に放り込んで、相対的な優劣を競わせてきた。その同学齢集団のラットレースで競争相手を蹴落とすことで出世するシステムの中で生きてきた人間に高い生活能力を期待することは難しいです。

大量の「幼児的な老人たち」をどうするか

――これからは高齢者層もまた社会的な成熟が求められる時代ということですね。
 いや、申し訳ないけど60歳過ぎてから市民的成熟を遂げることは不可能です。悪いけど、大人になる人はもうとっくに大人になってます。その年まで大人になれなかった人は正直に言って、外側は老人で中身はガキという「老いた幼児」になるしかない。同世代の老人たちを見ても、いろいろ苦労を経て、人間に深みが出てきたなと感服することって、ほとんどないですから。これから日本が直面する最大の社会的難問はこの大量の「幼児的な老人たち」がそれなりに自尊感情を維持しながら、愉快な生活を送ってもらうためにどうすればいいのかということですね。これは国家的な課題といって過言ではないと思います。
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危機的な状況になぜ対応できないのか

――気が遠くなるようなタスクですね。
 でもこの「幼児的な老人」の群れは日本人が戦後70年かけて作り込んできたものですからね、誰を恨むわけにもゆかない。戦後社会は「対米従属を通じての対米自立」というそれなりに明確な国家的な目標があったわけです。そして、この国家戦略は市民ひとりひとりが成熟した個人になることによってではなく、同質性の高いマスを形成することで達成されるとみんな信じていた。その方が確かに作業効率がいいし、組織管理もし易い。消費行動も斉一的だから、大量生産・大量流通・大量消費というビジネスモデルにとっては都合がよかった。だから、国策的に同質性の異様に高い集団を作ってきた。でも、こういう同質性の高い集団というのは、「この道しかない」というタイプの斉一的な行動を取ることには向いているんですけれど、前代未聞の状況が次々と到来するという危機的な状況には対応できない。そのつどの変化に即応して、「プランA」がダメなら「プランB」という臨機応変リスクヘッジは、多様な才能、多様な素質をもった個人が「ばらけて」いることでしか果たせないからです。でも、多様性豊かな国民を育成するという方向には戦後日本社会はほとんど関心を持たなかった。

金儲けと人間的成熟のリンケージが切れてしまった

――本書のなかで、本来「経済活動の本質は人間の成熟を支援するためのシステム」だと指摘しています。なぜ、戦後日本人の経済活動は、市民的成熟と結びつかなかったのでしょうか。
 本にも書きましたが、経済活動というのは、恒常的な交換のサイクルを創り出し、それを維持することを通じて、人間の成熟を支援するための仕組みです。交換活動を安定的に行うためにはまず市場、交通路、通信網を整備し、共通の言語・通貨・度量衡・商道徳などを作り出さなければなりません。交換活動の安定的で信頼できるプレイヤーとして認められるためには、約束を守る、嘘をつかない、利益を独占しないといった人間的資質を具えている必要がある。
 トロブリアンド諸島の「クラ交易」では、交換される貝殻にはほとんど使用価値がありません。でも、その無価値なものを安定的に交換し続けるためには、さまざまな人間的能力の開発が求められる。詳細は本文に譲りますけれど、クラ交易のプレイヤーに登録されるためには、「良い人」「信頼できる人」であることが必要です。大人でなければ、この交換事業には参与できない。そのように制度が作られている。
 でも、高度経済成長期以後、日本では金儲けの能力と人間的成熟の間のリンケージは切れてしまった。子どもでも嘘つきでもエゴイストでも、勢いに乗れば経済的に成功できた。でも、プレイヤーに市民的成熟を要求しない経済活動というのは、人類学的には経済活動ではないんです。無意味だから。そんなのはただの時間潰しのゲームに過ぎない。そんなゲームは人類が生き延びてゆく上では何の意味もない。
 もうひとつ、戦後日本の場合、近隣国から「エコノミック・アニマル」と蔑まれるほど必死に経済活動をしていましたけれど、あれは実はアメリカを相手に「経済戦争」をしていたんです。敗戦国となり、国家主権を失い、アメリカの属国身分にまで落ちたけれど、経済的に成功して、国際社会で重きをなすことを通じて、アメリカの支配から脱出しようとしていたんです。高度成長期の日本人は「そこまでして金持ちになりたいか?」というような異常な働き方をしましたけれど、あれは単に金が欲しかっただけではなくて、「経済大国になって、アメリカからイーブンパートナーとして認められ、国家主権を金で買い戻す」という国家戦略にもドライブされていた。とにかく「今度は経済でアメリカに勝つ」ということについては国民の間の暗黙の合意があったと思います。
ページ: 4

国際社会でまったく人望のなかった日本

――経済力にナショナルプライドを求めたわけですね。
 そうです。ただの強欲ではないんです。お金儲けの先にあったのは国家主権の回復です。国際社会における威信の回復です。それが国民的悲願だった。ですから、その時期の経済活動には一本筋が通っていた。でも、バブル崩壊で「金で国家主権を買い戻す」という壮大なプランが破綻し、追い討ちをかけるように、2005年の国連安保理常任理事国入りにほとんど支持が集まらなかったというトラウマ的経験があって、日本人は一気に自信を失ってしまった。
――目標の100カ国支持には遠く及ばず、共同提案国は30カ国程度にとどまりました。
 アジアではブータンモルディブアフガニスタンの3国しか支持してくれなかった。日本はアジア、アフリカにODAをばらまいていましたから、それらの国々からはそれなりに信頼され、期待されていると思い込んでいたけれど、実はまったく人望がなかった。金はあるけれど、政治的にはただのアメリカの属国に過ぎないと思われていた。国際問題について日本に固有の見識なり、独自のビジョンがあるとは誰も思っていなかった。「日本が常任理事国になってもアメリカの票が一票増えるだけだから、意味がない」という指摘に、日本政府は一言も反論できなかった。戦後60年ひたすら対米従属に勤しむことで日本は国力をつけて、国際社会で重要なプレイヤーになったつもりでいたわけですけれど、まさに「ひたすら対米従属に勤しんできた」がゆえに、世界中のどこの国からも一人前の主権国家だとは思われなくなっていた。まことに悲劇的なことでした。
 ここ十数年の日本の迷走は、このショックがずっと尾を引いているせいだと思います。92年のバブル崩壊で「金で国家主権を買い戻す」というプランが崩れ、2005年の常任理事国入りプランが水泡に帰して、経済大国としても、政治大国としても、国際社会の中で果たすべき仕事がなくなってしまった。
「失われた20年」と言いますけれど、日本が中国に抜かれて43年間維持してきた世界第2位の経済大国のポジションを失ったのは2010年のことです。バブル崩壊から20年近く、日本はそれでも世界第2位の金持ち国家だったんです。でも、その儲けた金をどのような国家的目標のために使うべきなのかが分からなくなってしまった。「腑抜け」のようになったビジネスマンの間から、「自分さえよければそれでいい。国のことなんか知るかよ」というタイプの「グローバリスト」が登場してきて、それがビジネスマンのデフォルトになって一層国力は衰微していった。それが今に至る流れだと思います。
――なるほど。
ページ: 5

国民的目標を見失った「エコノミック・アニマル」

 経済って結局は人間が動かしているんです。システムが自存しているわけじゃない。生きた人がシステムに生気を供給してゆかないと、どんな経済システムもいずれ枯死してしまう。経済システムが健全で活気あるものであるためには、その活動を通じて人間が成熟するような仕組みであること、せめてその活動を通じて国民的な希望が賦活されていることが必須なんです。だから、「エコノミック・アニマル」と罵られた高度経済成長期のビジネスマンも、ベンツ乗って、アルマーニ着て、ドンペリ抜いていたバブル期のおじさんたちも自分たちが国家的な目標を達成すべく経済活動をしているのだという正当化ができた。「オレたちはただ金儲けしているわけじゃないよ。お国のために戦っているんだ」という大義名分を自分でもある程度は信じていた。だから、マンハッタンのロックフェラーセンターを買ったり、コロンビア映画を買ったり、フランスでシャトーを買ったり、イタリアでワイナリーを買ったりしていたけれど、あれは「われわれは金で欲しいものはすべて買えるくらいに偉大な国になったんだ」と舞い上がっていたんです。
 でも、そういう増上慢も今から思うと「可憐」だったと思います。今の日本には「オレがビジネスをしているのは、日本の国威発揚と国力増進のためだ」と本気で思っているような「お花畑」な企業経営者はいやしません。国民的目標を見失った「エコノミック・アニマル」はただのアニマルになるしかない。金儲けの目標が自己利益と自己威信の増大だけでは、人間たいした知恵も湧きません。何のために経済活動をするのか、その目標を見失ったので、何をやってもうまくゆかず、どんどん落ち目になっている。悲しい話ですよ。

日本は人口減少社会のトップランナー

――「失われた20年」を経て、いま日本人が希望をもてる道筋とはなんでしょうか。
 国民的な目標として何を設定するか、まことに悩ましいところです。ダウンサイジング論や平田オリザさんの「下り坂をそろそろと下る」という新しいライフスタイルの提案は、その場しのぎの対処療法ではなく、人口減少社会の長期的なロードマップを示していると思います。先進国中で最初に、人類史上はじめての超高齢化・超少子化社会に突入するわけですから、日本は、世界初の実験事例を提供できるんです。人口減少社会を破綻させずにどうやってソフトランディングさせるのか。その手立てをトップランナーとして世界に発信する機会が与えられた。そう考えればいいと思います。その有用な前例を示すのが日本に与えられた世界史的責務だと思います。
 これから日本が闘うのは長期後退戦です。それをどう機嫌よく闘うのか、そこが勘所だと思います。やりようによっては後退戦だって楽しく闘えるんです。高い士気を保ち、世界史的使命を背中に負いながら堂々と後退戦を闘いましょうというのが僕からの提案です。
内田樹が語る貧困問題」に続く
内田 樹(編)
2018年4月27日 発売